2014年10月16日木曜日

FCルワンダ〜難民映画祭

こんにちはー、
最近はルワンダで行ったインタビューをひたすら文字起こしをする毎日です。
一時間分のテープ起こしをするのに六時間くらいかかるとして、
二六時間分くらいあるので

26時間×6時間=・・・・

計算したくなーーー!

前は研究者もいいかなと思ったけど、前言撤回!
足で動き、目で見て、インタビューする、そこまでは、とても好き。多分どっちかというと得意分野。

しかし、パソコンの前で何時間も座って、無数の砂の中から1つの少し色の違う砂を探したり、砂達のパターンを探したりするような作業。
苦手だなあ。

インタビューにしっかり応じてくれた人たちのためにもしっかりテープ起こししなきゃーという気持ちと、もうやめたーいという本能が闘う毎日です。


さて、この前難民映画祭に行ってきました。
http://unhcr.refugeefilm.org/2014/
なんと入場無料ー!
色んな映画を見ることができますよ。

今回見たのは「FCルワンダ」。
またルワンダかーいっ

何を上映するのか知らないで行ったんですが、、、もう運命です。


内容は
ルワンダの虐殺から20年、政府は国民一人一人における民族の帰属意識は弱まり、代わりにサッカーが人々の和解をもたらすと信じている。しかし現役の選手たちが幼少期にそのフィールドで見た凄惨な現場、積み上げられた屍の数々、連れ去られた弟や妹たちの姿を忘れることはない。記憶は消去できるのか?民族間のあつれきは本当に解消されたのか?サッカーを通して本作はそれらの問題に迫る。




映画ではちゃんと日本語訳ありますよ。 

ネタバレ?

サッカーを通して、とありますが、ほぼ関係ありませんでした。笑 政府に取材許可をとるためにサッカーを言い訳にしたのか?と思うほど。

何人か、主要な人物たちのインタビューを元に構成されていました。
前半はジェノサイドの凄惨さを体験談をもとに。 
特徴的なのは、後半になって、「ルワンダ人」というナショナル・アイデンティティと「ツチ・フツ・トワ」というエスニックアイデンティティの話をしてたこと。
とくに若者の。

 ここは少し面白くて、監督がオランダ人の人だと思いますが、この国で取材をする難しさを映像の中に漏らしながらも人々の心理に迫ろうとした様子が伝わってきます。 なにせ同じようなテーマを研究しているので、気持ちが痛いほど分かる! 


ルワンダの人は抽象的な話はたくさんしてくれます。しかし個人的な体験を聞かせてもらうにはそれなりの信頼関係が勿論必要です。

例えば、ジェノサイドは悪い、なぜなら人がたくさん死ぬし、人々は信頼関係を失うからだ。 という話はよくしてる。

だけど ジェノサイドは悪い。なぜなら私にはこういう体験があって〜そのときこう気づいたから、どう思う。 という話をきくのは難しい。

日本人だって同じことですが、抽象的な話よりも具体的な話の方が、 より人の心に踏み込むから。より喋り手の深層に迫ることになる。

 表現の自由が制限されていると言わざるを得ないルワンダでは、それが特に難しい。


政治的な話になると思うと、人々は口をつぐむ。 

民族の話も一緒でなかなか口に出せることではない。


だからこそ、綺麗な緑に囲まれ、経済発展に湧くルワンダの地下深くにどろどろとした層がうごめいているような、 闇を感じることがある。

 その闇に挑もうとしたのがこの作品。 映像は顔出しだから、本当に撮るのが大変だったのではないか、と思う。
最後は、誰か忘れたけどおじさん、が抽象的なことを喋って終わり、で若者の本音を聞くことは断念されたよう。だけど、問題提起としていい作品です。

何より、ジェノサイドのことではなく、その後のこと、特に若者に着目した映画はなかなかないので!

 興味が湧いたら是非どうぞ〜

まだ上映する日があるはずです。

 同じ日に見た「スケーティスタン」という映画も面白か
ったですよ。 スケートボードでアフガニスタンの子どもたちに夢を与えようとしたスケーティスタンという団体のドキュメンタリーです。

2014年9月26日金曜日

予防注射についてー!

去年したものですが、メモー

<摂取したもの>
黄熱病11000円
肝炎A 9000円 1回 =9000
破傷風 2500円 1回 =2500

肝炎B 4500円 2回 =9000
狂犬病7000円 三回 =21000
腸チフス 6500円

<合計金額>
11000+9000+9000+2500+21000+6500= 59000円

予防注射は他の保険などと同じです。摂取せずともいい、だけど、した分だけ安全性が高まる、という性質。つまり「これを摂取してこれを摂取しない」、というのは自己判断です。だれかに聞いて正解が得られるものではないので、財布や、行く地域の地域危険情報と相談して、決めましょう〜

行った病院〜
◎ふたばクリニック(三軒茶屋)
→先生が感染症に見識があり、気さくで相談にのってくれました。調べた中では料金も良心的でした。
1回目12/28
2回目1/8
3回目1/25

で三回行きました。

黄熱病だけは決まったところでしか受けれないので、
◎東京検疫所
一万一千円
パスポート必要

黄熱病を受けるとイエローのカードをもらえます。これを持っていかなければ入国できない場合もあるので要注意!



ルワンダに入るためには!

日本に到着しました
わーあっという間ー
でもルワンダにいるかごとく過去の日記書きます

今回はルワンダへ来る時に必要なものについて!

まず予防注射。これは2ヶ月前から必要。
中でも黄熱病の予防接種をしたことを表すイエローカードというものがないと、入国できません!!!
と、いうことになってますが、去年も今回も見せることもなくルワンダ入りできました。なんでやねーん

次にVISA
これはオンラインで事前申請をちゃっちゃとやっちゃえるのがルワンダの良いところ。

まずルワンダのimmigration officeHPへ。
Online Visaのアプライのページへ。http://www.migration.gov.rw/index.php?id=28
必要事項を入力。invitation leterを添付。

最後のinvitation leterはルワンダのどこかの機関から要請をうけたり招待されていることを証明する書類を相手から書いてもらわなければなりません。
しかしそんな面倒くさいことできない、、、
という人は、invitation leterなしでとりあえず送っちゃいましょう!
そしたら多分メールで添付しろと言ってくるので、時間がないどうすればいいか間に合わない旨を伝えると、VISAの受取証をPDFでくれます笑
あとは、印刷して、紙をもっていき、空港で紙と50ドルを渡すだけ。かんたーん。

私はこの方法でとったのですが、あくまでも一例なので責任はとりませんw


ちなみに空港でも取れるようですが、取れない時のりすくが高いのでオンライン申請はオススメです。
一番安心なのは大使館に行くことです。申請書一式を持って自由が丘の大使館へ。一週間くらい後に取りに行くとかっこいいVISAをもらえます。

では入国時—!
カタール空港で乗換えでしたが、ルワンダ行きの便の待合席はうるさいうるさい!いい意味で。
初対面でもガンガン世間話に花を咲かせるのがアフリカ流。
音楽を大音量で鳴らし始める青年とその音楽にのる周りの人々。アフリカな感じがしてきたー!
しまいにはキニャルワンダ語でジェノサイドの話をする人も居ました。

さて、カタール空港経由だと、ウガンダのエンテべで一回人を降ろします。エンテベ空港とキガリ空港は1時間ほどの距離。間違ってエンテベ空港で居りないように!
私は最初、来た時はえっなんでウガンダ来たんだ?飛行機乗り間違えたか!しまった!いやいや乗り間違えするはずないわ!え?なんで?と一人でプチパニックになりました←




キガリ空港の中に入ってから特徴的なのはビニール袋の規制とエボラの確認(今だけ)です。

ルワンダではビニール袋は持ち込んじゃ駄目!持ってると没収されます。それはルワンダは環境大国も目指していて(野望が多いルワンダ政府)、国内では買い物したら全て紙袋を渡されるほどです。お米を売る時くらいしかビニールみなかったかな?

しかーし!去年は100枚のビニール袋パック、今年は仕分け用のビニール袋をしっかり持ち込んだのですが、全く注意されることもなく、通過!
どうしてだろう、飽きたのかな、、、

また今の時期に特徴的なのがエボラ出血熱にかかってないかの確認。


 リベリアやシエラレオネなど、エボラ出血熱の感染国から来た人は特にチェックされます。荷物検査の前に熱があるかどうかの検査も有ります。


 こーんな感じですかね、まあなんとかなります。


2014年9月25日木曜日

俺は"ブラック"だ!

アフリカのイメージといえば紛争とか発展途上、貧困といったとってもくらーい!イメージ。
写真で見るのはお腹の膨れた子どもとか、サバンナに住む部族?

ルワンダだったら「ジェノサイドの国」!

そんな現実をアフリカ人はどう思ってるのか?!!

彼らも自分たちの国がジェノサイドとか貧困のイメージで片付けられていることは知っています。
それを受け止めているし、日本はリッチな国、自分たちは貧しい国だからーとよく言っています。
日本のような先進国に憧れを持つ人はたくさんいます。



しかし悲観的な見方だけでは決してありません!!!

私の友達は言いました。

「この国を見てみろ!みんなリラックスしててオープンで社交的で、みんながゆっくり家族や友達と話す時間がある。これ以上になにがいる?」

捉え方は色々あると思いますが、私はとても納得しました。

日本は、お金があって食べるものがあって服も何でも新品のものを買うのが当たり前の社会です。お金がないと言っても、カメラを持ってパソコンをもって、時々どこかに遊びに行くことは、大体の人にとって難しいことではありません。

しかし、自殺は多いし、うつ病は珍しくなく、家族で多くの時間を過ごせない人も多い。


そうした先進国の現実と自分たちの状況を比べて、「アフリカ的であること」に誇りを持っている人もたくさん居ます


私がルワンダに来たばかりのこと。ある日私は「ムズング(外人)」とあらゆるところで叫ばれることに苛立っていました。
友「なんで嫌なの?」
私「考えてくれ、もし日本に来たとして、ブラック、っていっつも言われたら嫌でしょ?!」
友「えーなんで?そしたら俺は『ブラック』だ!って返すよ!」

いつも周りから叫ばれるのとは違うだろーとも思いますが、

ここで彼が話してくれたのは、アフリカ人であること、ルワンダ人であることは自分の誇りだ、ということでした。

アフリカを「哀れんでる」だけの人もいるかもしれませんが、

日本だって「哀れまれて」ます。よ。

2014年9月20日土曜日

和解の可能性

今日は日本人でルワンダのツアーをしている団体の方のバスに便乗させてもらい、キレへという東部州の田舎街に行ってきました。

キレへでは、REACHというNGOが活動しています。(Reconciliation Evangelism And Christian Healing http://www.reach-rwanda.org/)
去年私がインターンをしていたところです。


ジェノサイドの加害者と被害者同士が和解して、一緒に働く?

そんなの夢物語みたいですよね。

自分の家族を殺した人、自分を殺そうとし傷つけた人を許して、一緒に生きていくなんて、普通考えられません。

私だったら、どんなに謝られても多分許すことなどできません。(心狭いですし!想像できない!


しかし、このREACHの参加者はというと、、

ジェノサイド直後は全く口を聞かず、お互いを恐れていました。片方はまた殺されるかもしれない、片方はリベンジされるかもしれない、と。

しかし今は、一緒に養豚を開始し、毎日いっしょに小屋の掃除や餌やりをし、お互いの家に招きあうまでになっているんです。



それにはREACHの償いの家プロジェクトや和解のためのセミナーが、参加者の心の変化に大きな役割を果たしました。

償いの家プロジェクトでは、加害者が被害者のために家を建てます。材料はREACHが支援しますが、あとは加害者側の労働によって全て行われます。

色んな説明を省略しましたが、
こうして、少しずつ、少しずつ、両者に信頼が戻ってきました。
まるで奇跡のようです。




もちろん最初はそんなことありえるのか?と疑っていました。
しかし現地でインターンをしていると、話しかけ合ったり、冗談を言って笑ったりする様子を間近でみました。

もちろん心の底から、全てを忘れることなんてありえません。
でも、参加者のみなさんはそれぞれの葛藤の中で、和解というプロセスを歩んでるんだなと感じました。
和解はけっして「イベント」ではなく「プロセス」なのですね、、、


そのREACHで大きな働きをした日本人の方がいます!
それは佐々木和之先生。

ルワンダに10年近く住み、REACHで働いた後、今は大学でルワンダ人に平和学を教えています。私が留学で最もお世話になった方です。
上記の日本人のツアーの皆さんも佐々木先生の案内でキレへまでわざわざ足を運んでくださいました。

今日は養豚プロジェクトで豚が大きく育ったことのお祝いの日。
小さいセレモニーでしたが、踊ったり、4人の加害者と被害者からのお話を聞いたり(感動的な話なので、また別のポストで)、日本人の皆さんからの素晴らしい歌もあって素敵な会でした。(私は秋田音頭の披露でした、、お目汚し失礼しました。)



夜は、皆さんと離れ、去年ホームステイをしていた先にお泊り。このポストらへんですねhttp://umunyarwandakazi.blogspot.com/2013/11/1.html

懐かしくてとても嬉しい気持ちとともに、わーと近況を話して就寝。長い一日でした、、。

2014年9月19日金曜日

アフリカ人は言語力がすごい!

今日は午後から首都キガリに移動し、ピースクラブの友人たちと合流しました。明日からの田舎の方面の旅に備えます。

そこでピースクラブのミーティングをしたのですが、始まった瞬間に9人中5人がなぜか外に消える。
おいおいおい
って思うけども、ルワンダではこんな自由退出が恒常化してるので、皆気にもとめずスタート。

ルワンダは講演会中に司会者の携帯がなって、電話に出て、喋る様子をみんなでみつめるのは普通。
授業中に携帯が鳴り響いてそのまま生徒が話しながら出て行くのも普通。
とにかく自由!

自分の椅子の余ってる部分に、友達が裸足の足を乗っけてきたりすることもあります。(最初のときは二度見したよね)

みんなが自由な行動をするし、それをみんなが気にもとめないので、世界が回っています。気にしたら負け。


逆に良いところと言えば、本当に発言する人がおおい!
会議になるとみんなぐわーと意見を言うので、日本のように2,3人だけ発言してるようなことは少ないと感じます。

今回もぐわーっと皆が好き勝手言って、前期の反省や会計報告などをしてなんとか終わり。
結論としては、プランを立てすぎて(夢が大きすぎて)、実行に移せなかったものが多かった!!!



夜は皆でレストランに行ったんですけど、そこで改めて感じたのはアフリカ人の言語力!

会議は英語だったんですけど、日常生活では会話がごっちゃまぜ。(ルワンダ人だけだとキニャルワンダ語が主ですが、ピースクラブにはコンゴ人やブルンジ人もいるので)

キニャルワンダ語、フランス語、英語、スワヒリ、キルンディ語


日本では英語を使用する職に就いたり、留学しなければ英語を喋る機会は全くないでしょう。英語を日本語で勉強してるのが普通だと思います。読み書き中心。だから大学を出ていても喋れないし聞けない人がとても多いですよね!

でもルワンダや他のアフリカの国は英語やフランス語、ポルトガル語等、欧米系の言語で授業を受けて育っています。
英語を喋れなければ職を探すのに大きな不利益となります。



でも最も特筆すべきは、英語のミスを全く恐れない態度!多分アフリカ人の適当さや、学校で試験を英語で書いたり、聞いたりしているからというのもあるんでしょう。


この差、、、。
日本語という自国言語の力、文化が保たれているのはいいことですし、全部英語で教えるべきだとは全く思いません。
しかし、現在の日本の教育方法の限界を感じます。

つまり、言語を学ぶことはツールに過ぎません。
受験に合格して、TOEICで良い点をとるために英語を学んでるのではありません。

私の受けてきた教育は英語を覚えることが目的でした。授業で英文を喋る機会はほぼゼロ

ただ単語を覚えろというだけではなくて、
その先に、(言語を使用して)、◯◯をするという目的が必要なはず!
読み書きだけではなく、実際に使って、何が出来るか、どんな可能性が広がるかを実感できれば、もっと英語力は向上するはずです。
英語を使えば世界中どこだって旅できるし、コミュニケーションをとれるし、ニュースや本だって何倍もの情報が手に入れられる

そんな楽しさ、可能性の部分が日本では欠落しているような、、、


色んな言語で楽しそうに話している皆といると、なんかそんなことを思ってしまいました。

2014年9月18日木曜日

汗っかきにとっての天国、、?

では問題!

ルワンダと日本、暑いのはどっちだ!




正解は、、、、

断然日本です。


日本だと外を歩いて汗をダラダラかき、電車やオフィスに入った瞬間ギンギンに冷やされるでしょ。
私は汗っかきなので、家にいても汗をかきます。、、いきづらし。


一方でルワンダは、アフリカにあってもとても涼しい気候です。
「千の丘の国」の名はだてじゃない!
標高は1600M!

特にいま住んでいるブタレはとっても住みやすいです。
日中はそれなりに暑いけど、
夜は時期によっては寒いくらいです。今はシーツ+毛布+薄い布団で丁度いいくらい。


汗を書くことがあっても、日本のようにジーメジメしているわけではないので、一瞬で乾くのです。

よって多くの外国人はルワンダの気候を気に入ることが多いのです。


私もだーいすきなルワンダの空。
青く澄み渡って、空は広くてお散歩してると気持ちいいー


夜にはプラネタリウムより綺麗な星空が広がって癒されます。

あまり人工的な灯りがないぶん、余計きれい。


私が着いた瞬間から雨季も去ってくれたようで、毎日晴天!!!!
あと2週間も晴れが続きますように!

トラウマに終わりはない、、?

ここ数日、わけあって毎日、違う人のジェノサイド当時の話を聞いています。
そこでトラウマについて書こうと思います。

当時800万人の人口のうち、50万〜100万人の人々が被害にあったと言われています。

国民の多くは被害者、被害者の家族、加害者、そしてその家族であるか、おびただしい数の殺人を目にしていた人々であるため、何かしらのトラウマを持っています。。

しかし、目に見えない「心に傷を持つ人々」は十分なケアを受けてきませんでした。
あまりに多すぎる患者数は理由の1つでしょう。
または手を切り落とされていたり、失明したり、顔を刃物で何度も切りつけられていたり、レイプされていたり、そのような莫大な数の「重病者」に隠れてしまっていた事もあるでしょう。
貧困の中で、心の病気にかけるお金なんかなかったこともあると思います。
また、被害者側の民族グループのトラウマについて強調されるあまりに、加害者またはその家族の心の病気についてはほとんど目が向けられてませんでした。


今までで、一番聞いてて辛かったのは、複数人からレイプをされた、Fさんから話を聞いた時です。

「ジェノサイドが起こってからは隠れ住み、タンザニアへ夫と子供と一緒に逃げてました。
国境付近で一度に5人に性的暴行を受けました。性病になってしまって、、、そのせいで子供も産めなくなってしまった。HIVにならなかったのだけが幸い。だけど、現在までも苦痛は完全に消えてません。トラウマ、特に性的暴行を受けた時の記憶は忘れられません。夫は運転手だったんですが、ジェノサイド中に足を何度も打たれた後遺症で、ブレーキを踏むと激痛がするようになりました。仕事を続けれなくなったのです。未来が見れない状態で、強い絶望感を感じて生きてきました。自分のこと、未来のこと、子供のことを考えて、眠れない日々。親族は75人殺されたんです。」
今はNGOの協力を得て加害者を許し、不眠や深夜徘徊といったトラウマの症状は大分なくなったようですが、やはり時々記憶が蘇ってくるようです。20年経った今も。


私の友人Sはジェノサイドの間、家族から離れ一人で逃げ回らなければなりませんでした。当時8歳。難民キャンプから難民キャンプへ転々と逃げまわっていたそうです。その影響か、ジェノサイドの直後には、「どこにいたのか」「何をしていたのか」を誰にも、何も話すことが出来なかったほどです。

その後数年間、彼は夜に一人で道を歩いても、驚くほど何も恐怖を感じなかった。それは「ジェノサイドより怖いものはあるわけない。」という心理からきていたようです。

これも一種の強いトラウマでしょう。
しかし、大学になるまで、自分がトラウマを持っていたことにさえ気づかなかったそう!
大学に入ってPTSD(Posttraumatic stress disorder)に関する授業を受けた際に、初めて、意識したんですって。



また、別の友人Jさんの奥さんはジェノサイドから18年経った2年前から、強いトラウマの症状を持つようになりました。それまで18年間何もなかったのに!です。

ジェノサイドが起きた4月になると、トラウマの症状を訴える人も多くなります。

私はこの友人のうちに去年の5月に遊びに行きました。すると、奥さんはドアからはいってきた私を見て、全くニコリともしませんでした。外国人に距離を置いているのかと思い、必殺キニャルワンダ語で話しかけ(!)、それでも無反応。

私は嫌われたのかと思い、ショックを受けていました。

するとJさんが一言、
「ごめんね、精神病なんだ、ジェノサイドのせいで。今度病院に行くんだ。」

3ヶ月後、症状が治ったと聞いてまた遊びに行きました。すると、本当に同一人物?と疑いました。ワハハッと笑うし、テキパキとご飯を作って、色々話しかけてくれて。

良かったーと思ったですけど、次の年の4月にまた精神病院に入院してしまいました。


治ったと思っても、ふとしたタイミングで症状が戻ってくる。恐ろしい。
時が過ぎて、悪化することもある。
ルワンダ社会が丁寧に、、、真摯に取り組んでいかねばならない課題だと感じています。


2014年9月16日火曜日

ここ数日の報告

正直、気が滅入っています!

久しぶりの友達を訪ねて、馬鹿みたいなはなしして、ご飯食べて、ルワンダの雑貨を買い物したり、楽しんでいます。とても!本当に来てよかった。

では、なぜ気が滅入っているのか。

というのも、ほぼ毎日、ジェノサイドに関する話を2〜4時間聞き、文字起こしをしたりしているからです。

(ジェノサイドのことばかりではないのですが、)友達と会い、ライフストーリーをじっくり聞く。

もちろん親しい友人に、です。

この国では、短期滞在者や遠い友人には言えないことがたくさんあります。
しかし、去年ある程度仲良くしていた友達とは、その壁をある程度超えることができます。(と信じてる。)

だからこそ、今、彼らとこのようにオープンに話しができていることはとても嬉しいことです。相手のことをよりよく知るいい機会でも有ります。終わったあとは、相手がもっと近くなったような気がする。
正直にいうと、他の人が中々できないことをしているやりがいさえ感じます。

でも!
8日間毎日聞いているとやっぱり疲れます!
自分の精神力の弱さを呪うほど。
一人一人のストーリーは時に、内容の重い、単発の連続ドラマのように感じられます。

今年大学でルワンダに関する展示を作っていた時も同じような気分になりました。現実が重すぎて、それを数枚の模造紙で表せれるとも思えなかったし、私の文章能力では事実を矮小化してしまうような、、、。と考えて、1ヶ月間全く作業が進まなかったり。



なんと今日で24日間滞在のうち12日間が過ぎました。
負けてる場合じゃないですねー!
日本のガンバリズムよ、今ここに、、我に力を。

2014年9月15日月曜日

誰がサバイバー「じゃない」の?

ジェノサイドサバイバー。

「ルワンダの1994年のジェノサイドで両親や家族を失ったり、殺される危険性があった人々」をそう呼びます。

サバイバー。誰のことを指すのでしょうか。とても曖昧で明確な基準はありません。しかし、多くのケースでは「ツチ」のサバイバーのことを指します。

ジェノサイドの時に殺された人でも「フツ」に属している場合は、同じ扱いではありません。

例えばジェノサイドの追悼週間においては、一週間国民全員が仕事を停止し、被害者の話を聞いたり、トラウマや、ルワンダの歴史について、毎日4時間以上の講演を聞かねばなりません。

私は去年色々な地域の集会に出席してみたのですが、そのときに出てくる言葉や追悼は殺された「ツチ」に対するものばかりでした。講演する被害者もツチの人々ばかり。

また、大学での追悼式でも、それは一緒。穏健派であり、ジェノサイドで殺されたフツやツチを助けたフツの人々に関する発言はほとんどありませんでした。

つまり、フツの被害者には発言する機会もなく、加害者側であるような扱いを受けているように感じたのです。

そもそも日本では「ルワンダのジェノサイド」と言われますが、ルワンダでは「the Genocide against the Tutsi」です!

もちろん、ツチ側が圧倒的に多い人数を殺されたことは事実でしょう。
しかし、この「意識的に分けられた扱い」は今のルワンダ社会に強い不公平感を生み出しています。

*追記
フツとかツチとかで分けきれない人々もたくさんいます。例えば、お父さんがフツでお母さんがツチ、と言った場合、地域によってサバイバー扱いされるかどうかは違うようです。

2014年9月13日土曜日

あなたはどのカテゴリー?

ルワンダでは国民全員が6つのカテゴリーに分類されています。
Ubudeheという一連の貧困削減アプローチの基準となるものです。
経済状況によってどのカテゴリーかが決まります。

分け方はこちら。
1)Abject poverty: 物乞いや他からの助けによって生きており、いつ死んでもおかしくない
2)Very poor: 生き残るために働いているが、財産はなく食べるものにも乏しいレベル
3)Poor: 少しばかりの財産と栄養に乏しい食事、子どもが高校に行くお金はない
4)Resourceful poor: いくつかの土地、牛、自転車、標準的な生産があり、高校に行ける。健康にもより少ない危険性
5)Food rich: 広大な土地とバランスの撮れた食事、家を持つ。子どもは大学に行ける
6)Money rich: 銀行にお金があり、ローンも組める。美しい家、牛、車、肥沃な土地、満足行くご飯と終身雇用。
以下原文
•Those in abject poverty locally referred to as ‘abatindi nyakuja’, own no property, live on begging and help from others, and consider it lucky if they died.
The second category, is the very poor and these have no house, live on poor diet which they can afford with difficulty, work every day for others for their survival, have tattered clothes, own no portion of land, and do not own cattle 
•The third category is called the poor. These depend on food deficit in nutrients, own a small portion of land, have low production and their children cannot afford secondary education 
•The fourth category comprises the resourceful poor who own some land, cattle, a bicycle, have average production, their children can afford secondary education, and have less difficulties in accessing health care. 
•In the fifth category lie the food rich people who basically own big lands, eat balanced food diets and live decent houses. They employ others, own cattle, and their children easily afford university education. 
•The sixth category is the money rich, who comprise of people with money in banks, receive bank loans, own a beautiful house, a car, cattle, fertile lands, sufficient food and are permanent employers.


このカテゴリーで何があるかというと、貧困レベルが高い人達が学校に行けるように改善されているか等の統計をとったり、開発の優先度を考えたり、Mutuelle de Santéという国民保険制度を負担を無くす、とのことです。貧しい人を認識して優先して援助するのはいいことですね。おかげで保険には入れたと感謝する声を聞きました。

が、

よく考えてみて下さい。あなたはPoorに所属します。と言われてどんな気がするか。
こうやって人を単純に分類する発想、どうなんでしょう。経済状況だけで割り切れるものでもないような。不満を持つ人は周りに多く居ます。

そして、地域の行政が勝手にカテゴリーを決めるため、このカテゴライズにはかなりの地域差があるようです。例えば都市でカテゴリー2に属する人が田舎のカテゴリー3よりよっぽどいい給料をもらっているなど。

ちょうど昨日のニュースでカテゴリーの基準をファイナライズしなきゃーと政府が言っていると聞きましたが、どう変わっていくのでしょうか

2014年9月11日木曜日

コーヒーのオリジンと黒団子3兄弟

今日は一昨日の契約で、大きなミスを見逃してしまっていました!!
作成した私の不注意によるもので、相手方にとても申し訳ない、、、。
でも相手はそれを修正するついでにまたルワンダで一番大きいコーヒーの輸出工場?
に行って、一昨日よりもゆっくり、女性たちと話してきました。

ルワンダ女性を支援する団体に所属する以上、そのオリジンとなる現場を見て、そこで働く人々を「個人」として面することは、やっぱり大切だなと。
だって支援する相手のことも知らないで活動してたら、ただの自己満足!ですよね。

といっても私のルワンダ語なんてたかがしれているので、女性たちがどこに住んでいるか、家族構成、勉強の機会があったか、この仕事に満足しているか、などです。
通訳をしてもらえばもっと話せるだろうけど、直接話した、ことに意味を感じる面倒くさい性格ゆえ、、、!

例えば、18歳位の若い女の子は近くに住んでいて、子どもが既に一人、お金がなかったので勉強の機会を得られなかったので、コーヒーのピッキングで生計を立てている。この仕事は好き。日本でコーヒーが育たないことに驚いてました。

ちなみに大体のルワンダ人はコーヒーを呑むことはほぼありません。ルワンダの家庭では主にミルクティーにお砂糖がたっぷり入ったものが好んで飲まれてます。コーヒーを呑むのは首都に住む富裕層が多いですね。

あともう一つちなむと、外国人の訪問者が来ると、お茶おごってよ~とかはよく言われます。あと日本に一緒にかえろーとか。息子と結婚してーとか。いいよー一緒に日本いこーとか行って返しちゃうんですけど。

大体のルワンダ人の例に漏れず、ここでも話を聞いたり、広報用の写真を取る間本当に優しい空気で接してくれたのでとても嬉しかったですし、もっと話を聞かなきゃなとも思いました。ニーズを聞くと、お金、となってしまうので、もっと具体的に聞かねばいけませんでした。反省。お金をあげる、だととても協力できる範疇を超えてしまいます。その点で学生にできるのはアドボカシーや若者同士の交流なのかなと思いますが、それだと直接的に女性農家や労働者と結びつくわけではないので、、

そこから南へバスで1時間、Muhangaという地域に住む、私の一番仲良かった友達の一人に会いに行きました。
最初した遊ぶ約束は1時間半遅刻、抽象的なこと、エナジーとかについて語りだすと延々しゃべり続けるし、大体適当だけど、正直で憎めないような子です。
私にルワンダ語を教えてくれたり、いつも通訳や説明をしてくれたのは彼でした。


今回は男兄第の他の2人と初対面。似てる、、、。同じ顔、、!
肌が黒い団子3兄弟!

それぞれ大学に通っていて、別べつの地域に普段は住んでいるようですが、今は夏休み。4,5ヶ月あるって言ってました!!お金もないしなにもしないけどー、って。

父親はジェノサイドの時に、終戦の数日前に見つかってしまい、連れて行かれました。その時に父親が残したジャケットを、彼はジェノサイドコメモレーションの時によく着ています。今は母親が働いて生計を立てているよう。

大体家を尋ねるとファンタと夕食/昼食を一緒に食べる流れになります。田舎だと男性が料理をするのは一種の恥、という文化が残っているのですが、男の子3兄弟なので順番にやってるらしい。見られないように。(笑)蒸した芋の上に豆が乗せてある1つのお皿を皆でつっついて食べました。たべながらお喋り。楽しかったー。

そこで驚いた事がありました。
私たちが外で遊んでたら女の子がムズング(白人の意だけどアジア人もそう呼ばれる)=私に近づいてきたんです。
4歳位で、田舎では滅多に見ないむずングに興味津々な様子。
そしたら3兄弟はその子を家に招き入れて牛乳をあげて、自分の親戚のように喋り始めました。この子見たことあるの?と聞くと、初めてだよ。とのこと。
わー隣に誰が住んでるかも分からない日本では、こんな近所付き合いありえない!むしろ犯罪としてみなされますよね・・・?
私は彼らが女の子を自然に自分の家族のように扱っているのを見て、うらやましいとおもいました。

帰りのバス停まで手を繋いで歩いてると(仲いい友達だと、男女でも普通に手を繋ぎますー!)えーなんか中国人の女の子と黒人のペアーだーくすくす、という目線をほぼ全ての人から浴び、歓声も上がる始末で、もう中国人ということでいいや!と歓声に応えました。


注目をあびること、そして中国人と呼ばれることを受け入れることがストレスを感じない秘訣!!

2014年9月10日水曜日

ルワンダで考える「クリスチャン」「物乞い」

朝起きると、そこには素敵な朝食が、、。感謝感謝です。

昨日も書きましたが、20年間ルワンダに関わっている日本人のMさんの家に泊まらせていただいたので、ルワンダ社会の変化からルワンダあるあるまで、、とても楽しくお話をさせて頂きました。紛争まっただ中のソマリアやジェノサイド直後の1994年にルワンダ入りし救護活動を行ったとか、、、

特に、その方はクリスチャンだったのですが、
クリスチャンの人々の「自己満足」を超えた、むしろ「自己犠牲」の精神からの活動について、感銘を受ける点がとても多かったです。
ルワンダにいると周りの多くのルワンダ人、日本人の方がクリスチャンでした。
私はそこで初めてクリスチャンの方々と深く話をしたんです。

やはり日本では新興宗教もキリスト教も一緒だと思われていたりしますが、、
私はキリスト教徒の方の倫理観や精神から多くのことを学べたと思いますし、これからも見習っていきたいと思っています。


あと、ルワンダでもやはり多い、物乞いの人びとにどう接することが出来るか、という話もしました。

物乞いの子にお金をあげちゃいけない、って考える人が多いんじゃないかなと思います。
私も一回もありません。
一人を助けただけで、皆のことを助けられるわけじゃないし、麻薬に使っちゃうかもしれないし、集団の中で争いが起きるかもしれない。

でも、そうやって、じゃあ私は関係ありません、知りません、あげません。っていう態度をとることは本当に正しいことなのか。と留学の最後の方から揺さぶられるようになりました。

自分にとってはすごい簡単。脳で簡単に処理できるし、あの子はできればルワンダ政府やルワンダ人によって助けられればいいな、と頭で願って終わり。

でも、今回お話をする中で、私は、やっぱり思考を停止しているだけなのではないか、と思いました。自分にとっては別に負担でもない程度の額や、1つのパン、それで実際に一人が幸せになることができる、一食、一時だけでも、空腹を忘れることが出来るなら、それでいいんじゃないか、と。むしろ、ご飯や小銭を分けることをしないで知らぬ存ぜぬをすることは、責任を逃れようとするあまりに、状況に対して何もアクションを起こしていないだけなんじゃないかと。

留学中に毎日のように彼らとすれ違い、彼らの目をじっくり見た時、「個人」と見て向き合った時に、やはり他人として単に処理できない/すべきでないのだと思います。

だからといって、じゃあ手当たり次第に分け与えればいいと言えないのが難しいところですが、、、、
私は、相手を「物乞いの子」としてではなく「個人」として見て、「考える」ことを忘れないようにしていきたいと感じました。



そしてその後、午前中は資料作成をしていました。

午後からは、あるプロジェクト?を進めるために、在ルワンダの日本大使館や移民局に行って質問。
アフリカンタイムを考慮すると期日に間に合うかかなり怪しい、、、
でもとりあえずスタートするしかないのかなと。


そして夜はルワンダでの親友のファビオラの家に泊まりました。
去年は一緒に授業を受け、家にも何回か泊まって一緒のベッドで寝たり水浴びをした仲なので、久しぶりの再会で本当に嬉しかったー。

夜ご飯が久々の、The ルワンダの家庭料理だったので、お腹を壊さないかかなり心配しながら挑みました。
結果、私のお腹はまだルワンダに対応してるらしい!

芋とご飯に付けてたソースが本当に美味しかったー!

夜はだらだらとお喋りしてたらいつの間にか寝ちゃってました。



2014年9月9日火曜日

生豆の契約完了

今日は朝にキガリ(首都)に向かいました。
正しくは朝早く行こうとして、アフリカンタイムでゆっくりしてたら11時になってました、、、

目的はFemme Caféという学生団体で扱うコーヒー豆の契約をするためです。

活動では
「ルワンダの女性によって」生産された生豆を輸入して
→FemmeCaféが焙煎・パッキング
→日本の方に販売!

しています。

今回の契約は去年よりも40kg多い100kg。

14時にコーヒー農家を取り仕切っているFaustinと合流。
コーヒーのピッキング場に遊びに行って女性たちが働いている様子を見たあと、
契約書をファイナライズして、サインしてきました。

Dallas Investmentは1200人程のコーヒー農家と協力しています。農家の皆さんは豆をウォッシングステーションに持込み、1キロ250フラン〜400フランで買い取られるようです。持って来られたコーヒーは全部買い取るように義務付けられているとのこと。

ピッキング場に居るのは18歳前後の若い人もいればお年寄りの方も居ますが90%は女性。一つ一つ豆を見てピッキングしてます。多い時には1000人の人がここで働くとか、、
女性達のコーヒー、Femme Caféの名前の由来そのもの。


しかし、最後にアクシデントが。書類の準備にあと3日はかかるから、積み荷の期日を延ばすように協力してくださっている商社さんにメールを送れとのこと。もっと早く言ってくれれば2日前に契約しに来たのにーと思ったのですが、とりあえずメールを急いで送りました。商社さんへ迷惑がかからなければいいのですが、、

でも忙しい中でコーヒー場の案内をしてくれたFaustinに感謝です。また今月末に別の契約と工場でピッキング体験をしに訪問したい!

夜はルワンダ国立大の友人とご飯をたべました。
この前卒業したのですが、ルワンダの東大である国立大出で、ほんっとうに頭がいいのに、まだ無職。
ぜったいおかしい!

コネや出自で仕事が得られるルワンダ社会では、能力を基準に雇用する文化がほとんどありません!
貧しい家庭の出身はいくらベンキョウしても職を得ることができない。

私の友達は英語で1つもレポートを書けない役所の役人(大学に通ってる)のために、レポートを書いてあげていました。最初は生計を立てるため、今は、将来に職を優遇してもらうために、タダで書いていると。
更には卒論も全部書いてるんです。
貧しい学生を、職や金をちらつかせて利用するような役人ばかり良い給料を得てるなんて、腹が立ちますー

今日はその後、日本人の方の家に泊まらせていただきました。20年前から既にルワンダに関わってらっしゃる、本当に優しく、素敵なお方でした。なんでルワンダにいる日本人はみんなこんなに優しい方々なんだろう、、
お金がないので、日本人の方やルワンダ人の友人を渡り歩いてます。

今日はとても眠いです。。やはりルワンダでは朝目覚めがいい代わりに眠りが浅いです。


2014年9月8日月曜日

嬉しい再会とバイクタクシーと決勝戦

今日は市場でお買い物をしてスカート二個買いました〜
どっちも3000フラン(500円)結構いい買い物でしょー?

ルワンダ人ってやっぱり優しいなーとおもいました!
私、出国の2日前、ディズニーランドに行ってたんです。
そこからあれよという間にルワンダ。すべてが違う。懐かしいけど、やっぱりすぐに順応できない。
土の道、ほこりっぽい匂い、顔が潰れた物乞い、穀物しかないご飯、女子トイレを普通に使うおじさん、、おじさん、、、

入国して飛び込む全ての状況が衝撃的で、脳に古くて新しい情報。

でも、安心させてくれるのは人の温かさ、ですね。


例えば、
ルワンダのマーケットで服を見てるとチラチラどころじゃない、凝視、そう、まさに凝視されます。こっちがみると見つめ合うことになり、2分位続くことも有ります
でもこちらが挨拶すると必ず笑顔で手を振りながら返事を返してくれます。

で、今日は現地語で多少話したら
売り場のおねえちゃんに「あなたのこと好きー」って言われて、抱きつかれて、値下げ簡単にしてくれて、
私がお釣りをもらいわすれていたら、「あんた2000フラン忘れているでしょ」と教えてもらい、
更には売り場に帽子を忘れてたら、走って届けに来てくれました。

数分前に「この帽子ちょーだい」「だめー知り合いのだから」という会話を交わしていたので、他の途上国なら普通に自分のものにするのかな?と思いますが、

あーー、ほんとこうゆう優しさはこの国の財産だな。。


あと、昔住んでいた家の近くを歩いていると、バイクタクシーが溜まる場所につきました。ココは私が人生で一番モテる場所でなんです。笑

通る度に名前を呼んで10人位集まってきてくれて、無料で乗せてくれることも多かったんです。日本人女性は絶対アフリカだとモテます。ルワンダ語を喋れるようになってきたら、もっと好感をもって接してもらえた気がします。。

今日は久しぶりの再会だったので、昔撮った写真のことや、最近の近況を話せて楽しかったですー。
まだまだ会いたい人がたくさん、、。この後しばらくルワンダ滞在はできないと思うので、もっと行動しなきゃなー


夜は街にあるレストランへ、テニスの錦織君の決勝を見に行きました!負けちゃって残念だけど、あの体格差で決勝までいけたことが本当に感動的だと思います。。

2014年9月7日日曜日

ワークショップ、Research as art and transformation

到着から1日半しか経ってないとは思えない程のスケジュールで、困惑しています

今日は、通っていた大学で丁度「Research as art and transformation
」というワークショップが開かれると聞いて参加してきました。
通常は夜間のクラスですが、時々土日を丸2日使ってワークショップをすることがあります。去年私はTransformation Powerという概念に関するものに参加しました。

熊本大の石原先生という方が、丁度ゲスト講師として教えていらっしゃいました。
水俣病に関する知識が大変豊富で、平和構築の分野で教鞭をとりつつ、今回は大学にボランティアで教えることになったそうです。
1日目は理論的な説明で、私が参加した2日目はより実践的なディスカッションがメインでした。

リサーチの中で、芸術を用いることで相手の深層や本能的な物事への理解が分かる、ということです。
例えば、自己紹介に絵を用いて自分を紹介する。
ルワンダ学生の絵の中にはジェノサイドがあった1994年に印象的なマークが付けられている絵や、川として表された苦難を乗り越えてきた中で、今ある家族との平和な食卓を書いてあるものなどがありました。
この絵によって、その人の価値観やそれを構成するもの、人格等が浮かび上がってきます。

1日中のワークショップでとても中身が濃かったのですが、印象に残ったのは
水俣や広島など、数十年たっても政府と国民の和解や国民同士の衝突が残る日本のケースと比較して、このジェノサイド後の20年間で驚くべき変化を遂げたルワンダのケースから日本へのアドバイスはないか、という質問
「水俣病の根源となった会社はまだ操業を続けているのか。」「まだ続いている。」「それでは、和解は難しいだろう。」
「被害者と加害者の溝を少なくするように努力し、お互いの状況に対し共感を生むことが大切。ルワンダには和解をするような場が用意されたが、日本ではなかったのではないか。」
「経済政策ばかりを優先して、被害者へのケアが遅れた。そのことが和解を遠ざけたのでは。」
「企業だけではなく、背後に居た政府にも大きな責任があった。ルワンダのように政府が被害者の家族をサポートするような体制があれば、被害者側の不満が最小化できたのでは。」
「お互いに罪を批判し訴えるだけではなく、話を聴き合う姿勢が欠けていたのだろう。ルワンダでもジェノサイドを起こしたものの家族や妻などは社会的に虐げられ、差別されているが、彼らに罪はない。そのような共感が掛けている」
「ルワンダのケースでは罪人の家族は本当に大変だ。牢屋にご飯を持って行く必要があるし、夫の居ない仲で家族は生計を立てなきゃいけないし、差別もされる。でも少なくとも家もあるし、生計をたてるためのヤギも居る。でもサバイバーはそれさえもない。家族を失い、家もないんだから。」
「被害者の痛み、ニーズを中心にして考えるのが当たり前だ」
「和解は加害者がテーブルにつかないとはじまらない。」


根本的な話から、ルワンダのケースとの関わりまで、20年間、「ジェノサイド後」を生きてきたルワンダの人の、自分の経験に根ざした言葉にある重みを感じました。

その後は劇や写真を使って、ルワンダ社会に現在ある問題を現し、提案までをする時間。

ルワンダの人は芸術センス(特に歌、ダンス、劇)がすごい!
全くリハーサルしてないのに、「家庭問題」について劇を始める我が同期。
去年はこのノリで演技をするように求められて、アドリブで20分間の劇をしたりしました。
そして途中で笑ってしまったら、「あのシーンは笑っちゃ駄目なところだ」ってまじめに駄目だしされたな

クリスチャンの多いルワンダでは離婚は好ましくないもの。現代は欧米化が進み、離婚も増えてきていますが、やはり聖書に則るといいことではない。
ルワンダ人のパスターは「DVや複雑なときには離婚は良い面もある、だけど聖書によると離婚はするべきではない。」と現代のリアリティーと聖書の教えるところと分けて語っていました。
「離婚と言っても、他に行く場所がないから、同じベットで寝るし、一緒に生活する。だから日本のコンテクストとルワンダのコンテクストでは感覚が違う。」

あとはGender Based Violenceについての班。父は常に酔っぱらい。子どもに男の子がいない。子どもは食べるものがなく、学校に行けない。子どもが多すぎて、その子どもを賄うだけの土地などの財産がないため紛争が起こる。妻が夫を殺してしまう。など現代のルワンダの風刺


夜はブルンジとコンゴの留学生と、授業をして下さった熊本大の石原先生、そして佐々木先生と夕食を共にしました。

大学において留学生は当初私一人だったのですが、佐々木先生の呼びかけでブルンジとコンゴから優秀な4人の留学生がきたおかげで、ディスカッションがとても深みのあるものになりました。
ルワンダの紛争は国内だけでなく、太湖地域、欧米諸国、国連、等複雑な拝啓を理解しなければ語れないからです。

とっても楽しい時間だったのですが、時差もあり、疲れがでて途中で居眠り、、

英語とルワンダ語を思い出すのはとっても疲れる、、、