2013年7月25日木曜日

Arrest in kigali

BBC 7/25
Eleven members of a breakaway Catholic group have been arrested in Rwanda after they tried to deliver a "vision from Virgin Mary" to President Paul Kagame, urging him to make reforms.
The group had staged an illegal protest outside the presidential residence in the capital, Kigali, police said.
Protests outside Mr Kagame's home are extremely rare, correspondents say.
The opposition accuses him of running an authoritarian regime since he took power in 1994.
However, his supporters and Western governments credit him with ending a genocide that killed some 800,000 people before his rebel forces seized power in Rwanda.
The BBC's Jean Claude Mwambutse reports from Kigali that those who were arrested came from the little known Intwarane group, which is not recognised by the official Roman Catholic church.
Police chief Emmanuel Gasana said the group was arrested as it was heading towards Mr Kagame's home in Kigali's wealthy suburb of Kiyovu.

1, 現地記者(おそらくルワンダ人)による、彼らがインテラハムウェから来たという情報が怪しすぎる。UK政府とRwanda政府の繋がりを考えても、信憑性を疑わざるをえない。
2, 記事からするに暴力的な運動ではない。逮捕するに十分な理由が本当にあったのか。


しつけ、、、とはなんぞや

「子どもの時、母さんのしつけはとっても怖かった、、!」

と大学の親友のS。
可哀想なことに、ルワンダの人は子どものしつけに暴力を使うことがとっても多い!

長い木の棒を、子どもを叱る時に使う。
私の仲がいい友達はもれなく両親からの暴力を受けていた。
「自分が子どもにする気はない」でも「当時は普通のこととして受け止めていたよー」とS。

しかし、この習慣がルワンダ社会に及ぼしている影響は計り知れない。
暴力を用いたしつけ方しか知らないから、子どもを同じようにしつける。
特に昔からの習慣を保ち続けている田舎で顕著だ。

私は子どもには絶対暴力を使いたくないと思う。
日本における暴力と教育のジレンマについても同様。
精神力、体力、経済力、社会的地位、全てにおいて無力で無抵抗の子どもに暴力行為を振るうということ、卑怯じゃないかなー。
とか言っといて、ストレス溜まった時にコツンとやったりしないかちょっと不安←

でも直接的暴力だけに留まらない。その後の人格の根源に関わる問題。
なぜかというと、生まれつき攻撃的な子どもは居ないはずで、性格形成の根幹を担う幼児期の暴力はその後の人生を狂わせることだってある。

児童虐待を教育だと言われて育った子供が、暴力なしの教育をどうやって知れるのか。
親の一発が子供の子供にまで、または社会のどこかで暴力行為として発散される責任をどうやってとれるのか。

子供のトラウマは長期化するという点でも問題がある。
私が親から受けた暴力というと、一発しか思い出せない。
しかしその一発が私の長期に渡る反抗期の引き金を引いた。(気がしないでもない。)
一発だけだからなのか、それとも陰湿な性格だからか!今でもその時のことは詳細に覚えている。
トラウマは特定の色や味覚、映像、音、匂いで容易に蘇り、完璧に忘れ去ることは不可能に近いって言われてる。
子どもの一生に関わる大きな問題。

だがこの国では学校でも(昔よりは減ったそうだが)暴力が教育として容認されているし、問題意識も格段に低い。日本でも暴力が教育に必要という意見もあるが、自分の教育能力の低さで生じた必要性であって、自身の問題やストレスを子どもに投げつけているだけじゃないのか、というのが私の思うところだ。

Powerの定義は色々あって、人にどんな影響をどれだけ与えられるか?というのが1つの定義としてあり、分類分けが試みられていると最近知った。その中でも肉体的なダメージや心理的な脅迫を伴った力は、本当の力じゃないと思う。本当にすごいのは、相手を説き伏せる力。心理的に相手の自主性に働きかける力なのかなと思う。

ルワンダで児童の権利の認知度向上のためな活動を行なっている機関は知っているが、そこの活動で子どもへの暴力が取り上げられることは驚くほど少ない。
そもそも文化的暴力の側面が根強いため、暴力として認知されること自体が少ないのかもしれない。つまり、文化の中で育ってしまった常識から引き起こされる暴力だから、その暴力が「常識的に考えて」問題として認識されないということ。

新しい世代が、しつけとしての暴力を否定してくれたことは、とても嬉しいことだと思った!


2013年7月21日日曜日

理論と実践:ジェンダー

Most of men support the idea of "Gender Equality" although there are less men who can do in practical way.

 Today I had a conference about Gender with 200 rwandan people and 10 foreigners. In the discussion, the various opinions making me so excited were expressed from different point of view. So I really appreciate this opportunity to share our minds and learn theoretical perspective of Gender Equality.

However, despise academical conversation in the discussion, I realize that it is only in terms of theory that men could agree with and understand the women's opinion. Just after saying that gender equality should come true through the change of whole society, they say that they cannot wash their children because this work is reserved for women !!  

I am strongly sure that men never understand the feeling of women. Off course I know there are many men who care about gender issues with all their heart. However it is women who can really address the gender issues and help themselves. Most of people who have power, I mean men, cannot know the feeling of those who take lower statues than these of mens. I think that is why they sometimes unconsciously violate the right of women.


Some men asked the question that "the notion of gender equality came from outside, European country, then, accepting the imposition of western thoughts can be good for us?" I really agree with the importance of protecting tradition. Thus I think Rwanda don't need to accept any western notion, even human rights. Because nobody can say that western culture is always better than rwandaise. It is not the truth.

However, it matters little if rwandaise chose to adapt the notion of Gender Equality that came from european because it is only a one of tools in which we might improve the statues of women. 
The point is that IS THERE  ANY PEOPLE WHO SUFFER FROM PRESENT SITUATION?

The question is simple. There are people in need. Why not help them? How can we help though which from today?

To advocate the idea of Gender Equality is one of the tools in order to make everyone recognize that issue. If rwandaise don't want to westernized any more, no one should force them to use. Instead, problems are there. How can we address? What is the way to changing society? 

It is the next step.





ごみは捨てるもの?

ルワンダの道はきれいだ。
他の途上国に比べて、道のゴミはおどろくほど少ない。

しかし、ルワンダ人がゴミを道に捨てないか、というとそれは違う。
彼らは捨てる。思いっきり捨てる。大胆すぎて気づかない時もある。
食べたらペッと家の床でもするし、
ではなぜ道が綺麗なのかというと、片付ける人が居るからである。

政府の統制が強いルワンダでは、コミュニティワークやコミュニティーサービスと言われる無償労働制度があり、これによって市民が動員される。
または最下層の人間が最低賃金がないなかで最低賃金以下で働く。

先日仲いい友達とこれについて討論になった
というか、床にごく自然に紙が捨てられたのを見て、驚いた。昭和の文豪か初恋相手へのラブレターの書き損じじゃあるまいし

「どうしてゴミ箱に入れないの?」
「ゴミを片付ける人たちがいるからだよ」
「いやいやゴミ箱捨てればその人達の仕事減るじゃん」
「そしたら彼らの仕事なくなるじゃないか」
「それで仕事なくならないし、私達が捨てなかったらもっと綺麗に出来ると思うけど」
「でもここには階級があってゴミを拾う人たちは拾う人たちだから」

そこからはなしをすることすうじゅっぷん

ルワンダは中級家庭であればお手伝いさんを雇い、ゴミは捨てるもの、ツバははくものとして育ったし、謙虚さはやり方によって自分の地位を下げる行為になる。

つまり中級階級が下層階級を見下し、月0〜2万RWF(0〜2800円位)で働く人々は生活のために、中級階級以上の後始末や3k労働を余儀なくされている状況。

日本も同じだろうが、この国の貧富の差があまりにも広いことを日々感じる。

2013年7月18日木曜日

ケニアでの日本人殺害

ケニアで日本人が殺害されました
JICAの下請け機関で働く男性がお金を下ろした後に襲われたようです。

ケニア、特にナイロビは観光都市としてその存在感を年々上げている一方、治安の悪さにおいても東アフリカの中で際立つ存在です。

以下詳細

アフリカのケニアで、日本のODA(政府開発援助)によるコンテナターミナルの開発工事に関わっていた日本人男性が、3人組の強盗に襲われ死亡した事件で、工事を統括する東洋建設の幹部が、16日夜、現地に向け出発した。
東洋建設によると、亡くなった協力会社の「イーストマリン社」社員・小川 悟さん(51)は、現地時間の15日午前11時半ごろ、ケニアのモンバサ市内の銀行で、現金およそ300万円を下ろし、事務所に戻る途中、3人組の強盗に襲われたという。
3人組は、小川さんが乗った車の窓ガラスを割り、金品を要求したものの、抵抗されたため、銃で小川さんを撃ったという。
その後3人組は、近くに待機していた2人組とともに、バイクで逃走したという。(FNNニュースより引用)

銀行で300万円をおろすという行為はアフリカにおいて決してよくある行為ではありません。100万円程下ろそうものなら銀行内のドルを根こそぎ奪ってしまうか、そんなお金はおいてないと言われるのが普通です。

現地の人の給料は年10万円あったら家族が十分生きていけるような社会です。田舎では未だに現金収入が0の人も多く居ます。都市から離れた農家の方で自給自足の生活をしている場合などです。日本人(というかアフリカ人以外全て)は金持ちという前提がまずありますので、お金に関しては特に注意が必要です。日本人は無防備な場合が本当に多いと言われますが、現地の人は生活のために襲う時は死ぬ気で襲ってくるんです。10万円の強盗でも何百万の価値を持っているというわけです。

これが計画殺人だったのか、突発的なものなのか、まだ記事からは分かりませんが、どちらにせよ銀行関連対策の重要性が再確認されたと思います。ルワンダの日本人の間でも注意喚起が為されました。ルワンダに住んでいると想像以上の平和さに気が緩んでしまうのですが、これからこのようなことがないように、アフリカにいる私達はますます気を引き締め万全な対策をしなければ、と思います。


アフリカの同性愛者(記事)

前回の記事と関連する記事。(2009)
http://abcnews.go.com/blogs/headlines/2009/12/africas-culture-war-the-fight-over-ugandas-antigay-bill/

ルワンダでも同様の法案がかけられていたんだなー。
ルワンダの記事。これも反対(2008)
http://www.newtimes.co.rw/news/index.php?i=13467&a=4809
http://www.newtimes.co.rw/news/views/article_print.php?i=1298&a=1143

アフリカの価値観がよく分かると思います。
特にキリスト教への信仰が深い人が多いルワンダでは、聖書へ逆らうという時点で他の理由はいらずに反対という人が多い印象。

2013年7月16日火曜日

ルワンダ人と結婚すべきだ

こんなことを言ってくるおじさんがよくいる。
というかおじさんが居たとすると、そのおじさんと、珍しい外国人によってきた周りの暇そうなおじさんたちがみんなで言ってくる。
今日もお店に入ったら、仕事終わりで飲んでるおじさんに捕まった。終わってないのかもしれない。朝から晩まで飲んでるかもしれないようなおじちゃん達。

この結婚くだりを既に100回位は繰り返しているので正直面倒臭い時もある。

よくあるお決まりジョークなのは分かっているのだけど、1,2,3,と来たらダーであるのと同じように、挨拶して、職種聞いて、国籍聞いたら、結婚の話は欠かせないのがルワンダあるあるである。毎日聞かれると嫌になってくる
でもおじさんたちはチャーミングなので、今日もついついおしゃべり。

私達日本人がルワンダ人と結婚できないか、というとそれは否定できる。

アフリカ人と聞いて全くイメージの湧いてこない人も多いと思うが、実際今までに2人誠実で真面目で気の利くルワンダ人学生を見た。1人は国立大学の学生なのだが、本当にいい友だちだし、何よりこのルワンダの盲目的な社会において政府を比較的冷静に分析しているところが好印象。
もう1人は学校のクラスメイトで委員長をやってるしそれなりにしっかり者。いっつもキニヤルワンダ語が不自由な私を気遣ってくれる。

こんなルワンダ人なら日本人女性とも相性がよさそう。

そして私の先輩にもアフリカ人と付き合っている方も2人もいる。それをふまえるとアフリカ人との結婚という道は現実的な選択のように思える。もちろん彼らの大部分はお金を持っていないが、日本の若者より毎日を力強く生き抜いているアフリカ人の魅力はお金に打ち勝つものがあるだろう。

だが、ルワンダ人と結婚すべきだ、と言われると、否定したくなる。

そもそも、彼氏の基準は人種じゃないかな。肌の色でもない。文化の違いでもない。
私の中で優先されるのは、根底にある倫理観の基準が近いかどうか?
根本的な感覚が近ければ、細かな経済的社会的文化的差異は克服できるだろうなーと思う。多分。そんなことを現実的に感じたのはルワンダ人と仲良くなってからだけど。


一番いい交わし方は
「私は牛100頭は必要だよ☆」っていうこと。
花嫁の家に牛を送るのが、ルワンダの文化なんです。




彼らとの戦い

ルワンダに来て、不満に思うことは予想より遥かに少ない。

しかしそんな平和な日々を壊す唯一の敵が存在する。
それは奴らだ。至る所に忍び込み、隙をついては仲間を増やす。

最初は驚き動揺したものだが、待っていても誰も助けてくれないと悟った時、私は一段階強くなった。
彼らに対して感情を一切打ち消すこと、この能力を極限にまで高めることで、必要以上の体力消耗を防ぐ。

しかし今日は勝手が違った。彼らは私のお風呂用のポットに潜伏していたのだ。敵は10匹以上…。でかい…
私はカトリック系の独身女性寮に住んでいて、そこでは1日に一回お湯を支給してくれる。しかしそれを取り逃すと、ポットは寮の暗くて湿っている場所で夜保管されるため、このようなことが時々起こる。
前回は無我の境地に至らず、ポットを振り回した結果、ポットごと破壊した。怖かった‥

しかし今回の私は違う。5ヶ月の訓練の成果もあり、集中力を高め、根絶やしとし、これにて一件落着。
しかし悔しい。私の精神状態は崩され、その後の食欲にも影響をおよぼすこととなった。

なぜ彼らは私と共生できないのだろう。いやこれは人間の問題か。彼らはおそらく共生できるのだが、私はできない。

例えばこれを紛争の理論に当てはめると、どうなるんでしょう
この紛争が彼らと私との間の「両立不可能な目標」に起因することになります。
これを分析するツールは色々あるのですが、その中の1つがconflict onionといって、Position, Interest, Needという3つを明らかにするものです。

私のポジションは彼らを部屋から追放することであり、あちらのポジションは部屋に居着くこと。Interestは繁殖を防ぐことや清潔さを損なわないこと(あと単に見た目がよろしくない)とか。あっちのinterestは食と住を安定し、繁殖すること。私のneedは守られたい。あっちのneedは生きることでしょうか。

暇だったのでこんなくだらないことを考えてましたけど、結論としては

人間ってすごい!強くなれるんだから。(成れるのか、慣れるのかは知らないが)