2014年9月18日木曜日

トラウマに終わりはない、、?

ここ数日、わけあって毎日、違う人のジェノサイド当時の話を聞いています。
そこでトラウマについて書こうと思います。

当時800万人の人口のうち、50万〜100万人の人々が被害にあったと言われています。

国民の多くは被害者、被害者の家族、加害者、そしてその家族であるか、おびただしい数の殺人を目にしていた人々であるため、何かしらのトラウマを持っています。。

しかし、目に見えない「心に傷を持つ人々」は十分なケアを受けてきませんでした。
あまりに多すぎる患者数は理由の1つでしょう。
または手を切り落とされていたり、失明したり、顔を刃物で何度も切りつけられていたり、レイプされていたり、そのような莫大な数の「重病者」に隠れてしまっていた事もあるでしょう。
貧困の中で、心の病気にかけるお金なんかなかったこともあると思います。
また、被害者側の民族グループのトラウマについて強調されるあまりに、加害者またはその家族の心の病気についてはほとんど目が向けられてませんでした。


今までで、一番聞いてて辛かったのは、複数人からレイプをされた、Fさんから話を聞いた時です。

「ジェノサイドが起こってからは隠れ住み、タンザニアへ夫と子供と一緒に逃げてました。
国境付近で一度に5人に性的暴行を受けました。性病になってしまって、、、そのせいで子供も産めなくなってしまった。HIVにならなかったのだけが幸い。だけど、現在までも苦痛は完全に消えてません。トラウマ、特に性的暴行を受けた時の記憶は忘れられません。夫は運転手だったんですが、ジェノサイド中に足を何度も打たれた後遺症で、ブレーキを踏むと激痛がするようになりました。仕事を続けれなくなったのです。未来が見れない状態で、強い絶望感を感じて生きてきました。自分のこと、未来のこと、子供のことを考えて、眠れない日々。親族は75人殺されたんです。」
今はNGOの協力を得て加害者を許し、不眠や深夜徘徊といったトラウマの症状は大分なくなったようですが、やはり時々記憶が蘇ってくるようです。20年経った今も。


私の友人Sはジェノサイドの間、家族から離れ一人で逃げ回らなければなりませんでした。当時8歳。難民キャンプから難民キャンプへ転々と逃げまわっていたそうです。その影響か、ジェノサイドの直後には、「どこにいたのか」「何をしていたのか」を誰にも、何も話すことが出来なかったほどです。

その後数年間、彼は夜に一人で道を歩いても、驚くほど何も恐怖を感じなかった。それは「ジェノサイドより怖いものはあるわけない。」という心理からきていたようです。

これも一種の強いトラウマでしょう。
しかし、大学になるまで、自分がトラウマを持っていたことにさえ気づかなかったそう!
大学に入ってPTSD(Posttraumatic stress disorder)に関する授業を受けた際に、初めて、意識したんですって。



また、別の友人Jさんの奥さんはジェノサイドから18年経った2年前から、強いトラウマの症状を持つようになりました。それまで18年間何もなかったのに!です。

ジェノサイドが起きた4月になると、トラウマの症状を訴える人も多くなります。

私はこの友人のうちに去年の5月に遊びに行きました。すると、奥さんはドアからはいってきた私を見て、全くニコリともしませんでした。外国人に距離を置いているのかと思い、必殺キニャルワンダ語で話しかけ(!)、それでも無反応。

私は嫌われたのかと思い、ショックを受けていました。

するとJさんが一言、
「ごめんね、精神病なんだ、ジェノサイドのせいで。今度病院に行くんだ。」

3ヶ月後、症状が治ったと聞いてまた遊びに行きました。すると、本当に同一人物?と疑いました。ワハハッと笑うし、テキパキとご飯を作って、色々話しかけてくれて。

良かったーと思ったですけど、次の年の4月にまた精神病院に入院してしまいました。


治ったと思っても、ふとしたタイミングで症状が戻ってくる。恐ろしい。
時が過ぎて、悪化することもある。
ルワンダ社会が丁寧に、、、真摯に取り組んでいかねばならない課題だと感じています。


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