「子どもの時、母さんのしつけはとっても怖かった、、!」
と大学の親友のS。
可哀想なことに、ルワンダの人は子どものしつけに暴力を使うことがとっても多い!
と大学の親友のS。
可哀想なことに、ルワンダの人は子どものしつけに暴力を使うことがとっても多い!
長い木の棒を、子どもを叱る時に使う。
私の仲がいい友達はもれなく両親からの暴力を受けていた。
「自分が子どもにする気はない」でも「当時は普通のこととして受け止めていたよー」とS。
しかし、この習慣がルワンダ社会に及ぼしている影響は計り知れない。
暴力を用いたしつけ方しか知らないから、子どもを同じようにしつける。
特に昔からの習慣を保ち続けている田舎で顕著だ。
特に昔からの習慣を保ち続けている田舎で顕著だ。
私は子どもには絶対暴力を使いたくないと思う。
日本における暴力と教育のジレンマについても同様。
精神力、体力、経済力、社会的地位、全てにおいて無力で無抵抗の子どもに暴力行為を振るうということ、卑怯じゃないかなー。
とか言っといて、ストレス溜まった時にコツンとやったりしないかちょっと不安←
でも直接的暴力だけに留まらない。その後の人格の根源に関わる問題。
なぜかというと、生まれつき攻撃的な子どもは居ないはずで、性格形成の根幹を担う幼児期の暴力はその後の人生を狂わせることだってある。
児童虐待を教育だと言われて育った子供が、暴力なしの教育をどうやって知れるのか。
親の一発が子供の子供にまで、または社会のどこかで暴力行為として発散される責任をどうやってとれるのか。
子供のトラウマは長期化するという点でも問題がある。
私が親から受けた暴力というと、一発しか思い出せない。
しかしその一発が私の長期に渡る反抗期の引き金を引いた。(気がしないでもない。)
一発だけだからなのか、それとも陰湿な性格だからか!今でもその時のことは詳細に覚えている。
トラウマは特定の色や味覚、映像、音、匂いで容易に蘇り、完璧に忘れ去ることは不可能に近いって言われてる。
子どもの一生に関わる大きな問題。
だがこの国では学校でも(昔よりは減ったそうだが)暴力が教育として容認されているし、問題意識も格段に低い。日本でも暴力が教育に必要という意見もあるが、自分の教育能力の低さで生じた必要性であって、自身の問題やストレスを子どもに投げつけているだけじゃないのか、というのが私の思うところだ。
Powerの定義は色々あって、人にどんな影響をどれだけ与えられるか?というのが1つの定義としてあり、分類分けが試みられていると最近知った。その中でも肉体的なダメージや心理的な脅迫を伴った力は、本当の力じゃないと思う。本当にすごいのは、相手を説き伏せる力。心理的に相手の自主性に働きかける力なのかなと思う。
ルワンダで児童の権利の認知度向上のためな活動を行なっている機関は知っているが、そこの活動で子どもへの暴力が取り上げられることは驚くほど少ない。
そもそも文化的暴力の側面が根強いため、暴力として認知されること自体が少ないのかもしれない。つまり、文化の中で育ってしまった常識から引き起こされる暴力だから、その暴力が「常識的に考えて」問題として認識されないということ。
新しい世代が、しつけとしての暴力を否定してくれたことは、とても嬉しいことだと思った!
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