2014年9月13日土曜日

あなたはどのカテゴリー?

ルワンダでは国民全員が6つのカテゴリーに分類されています。
Ubudeheという一連の貧困削減アプローチの基準となるものです。
経済状況によってどのカテゴリーかが決まります。

分け方はこちら。
1)Abject poverty: 物乞いや他からの助けによって生きており、いつ死んでもおかしくない
2)Very poor: 生き残るために働いているが、財産はなく食べるものにも乏しいレベル
3)Poor: 少しばかりの財産と栄養に乏しい食事、子どもが高校に行くお金はない
4)Resourceful poor: いくつかの土地、牛、自転車、標準的な生産があり、高校に行ける。健康にもより少ない危険性
5)Food rich: 広大な土地とバランスの撮れた食事、家を持つ。子どもは大学に行ける
6)Money rich: 銀行にお金があり、ローンも組める。美しい家、牛、車、肥沃な土地、満足行くご飯と終身雇用。
以下原文
•Those in abject poverty locally referred to as ‘abatindi nyakuja’, own no property, live on begging and help from others, and consider it lucky if they died.
The second category, is the very poor and these have no house, live on poor diet which they can afford with difficulty, work every day for others for their survival, have tattered clothes, own no portion of land, and do not own cattle 
•The third category is called the poor. These depend on food deficit in nutrients, own a small portion of land, have low production and their children cannot afford secondary education 
•The fourth category comprises the resourceful poor who own some land, cattle, a bicycle, have average production, their children can afford secondary education, and have less difficulties in accessing health care. 
•In the fifth category lie the food rich people who basically own big lands, eat balanced food diets and live decent houses. They employ others, own cattle, and their children easily afford university education. 
•The sixth category is the money rich, who comprise of people with money in banks, receive bank loans, own a beautiful house, a car, cattle, fertile lands, sufficient food and are permanent employers.


このカテゴリーで何があるかというと、貧困レベルが高い人達が学校に行けるように改善されているか等の統計をとったり、開発の優先度を考えたり、Mutuelle de Santéという国民保険制度を負担を無くす、とのことです。貧しい人を認識して優先して援助するのはいいことですね。おかげで保険には入れたと感謝する声を聞きました。

が、

よく考えてみて下さい。あなたはPoorに所属します。と言われてどんな気がするか。
こうやって人を単純に分類する発想、どうなんでしょう。経済状況だけで割り切れるものでもないような。不満を持つ人は周りに多く居ます。

そして、地域の行政が勝手にカテゴリーを決めるため、このカテゴライズにはかなりの地域差があるようです。例えば都市でカテゴリー2に属する人が田舎のカテゴリー3よりよっぽどいい給料をもらっているなど。

ちょうど昨日のニュースでカテゴリーの基準をファイナライズしなきゃーと政府が言っていると聞きましたが、どう変わっていくのでしょうか

2014年9月11日木曜日

コーヒーのオリジンと黒団子3兄弟

今日は一昨日の契約で、大きなミスを見逃してしまっていました!!
作成した私の不注意によるもので、相手方にとても申し訳ない、、、。
でも相手はそれを修正するついでにまたルワンダで一番大きいコーヒーの輸出工場?
に行って、一昨日よりもゆっくり、女性たちと話してきました。

ルワンダ女性を支援する団体に所属する以上、そのオリジンとなる現場を見て、そこで働く人々を「個人」として面することは、やっぱり大切だなと。
だって支援する相手のことも知らないで活動してたら、ただの自己満足!ですよね。

といっても私のルワンダ語なんてたかがしれているので、女性たちがどこに住んでいるか、家族構成、勉強の機会があったか、この仕事に満足しているか、などです。
通訳をしてもらえばもっと話せるだろうけど、直接話した、ことに意味を感じる面倒くさい性格ゆえ、、、!

例えば、18歳位の若い女の子は近くに住んでいて、子どもが既に一人、お金がなかったので勉強の機会を得られなかったので、コーヒーのピッキングで生計を立てている。この仕事は好き。日本でコーヒーが育たないことに驚いてました。

ちなみに大体のルワンダ人はコーヒーを呑むことはほぼありません。ルワンダの家庭では主にミルクティーにお砂糖がたっぷり入ったものが好んで飲まれてます。コーヒーを呑むのは首都に住む富裕層が多いですね。

あともう一つちなむと、外国人の訪問者が来ると、お茶おごってよ~とかはよく言われます。あと日本に一緒にかえろーとか。息子と結婚してーとか。いいよー一緒に日本いこーとか行って返しちゃうんですけど。

大体のルワンダ人の例に漏れず、ここでも話を聞いたり、広報用の写真を取る間本当に優しい空気で接してくれたのでとても嬉しかったですし、もっと話を聞かなきゃなとも思いました。ニーズを聞くと、お金、となってしまうので、もっと具体的に聞かねばいけませんでした。反省。お金をあげる、だととても協力できる範疇を超えてしまいます。その点で学生にできるのはアドボカシーや若者同士の交流なのかなと思いますが、それだと直接的に女性農家や労働者と結びつくわけではないので、、

そこから南へバスで1時間、Muhangaという地域に住む、私の一番仲良かった友達の一人に会いに行きました。
最初した遊ぶ約束は1時間半遅刻、抽象的なこと、エナジーとかについて語りだすと延々しゃべり続けるし、大体適当だけど、正直で憎めないような子です。
私にルワンダ語を教えてくれたり、いつも通訳や説明をしてくれたのは彼でした。


今回は男兄第の他の2人と初対面。似てる、、、。同じ顔、、!
肌が黒い団子3兄弟!

それぞれ大学に通っていて、別べつの地域に普段は住んでいるようですが、今は夏休み。4,5ヶ月あるって言ってました!!お金もないしなにもしないけどー、って。

父親はジェノサイドの時に、終戦の数日前に見つかってしまい、連れて行かれました。その時に父親が残したジャケットを、彼はジェノサイドコメモレーションの時によく着ています。今は母親が働いて生計を立てているよう。

大体家を尋ねるとファンタと夕食/昼食を一緒に食べる流れになります。田舎だと男性が料理をするのは一種の恥、という文化が残っているのですが、男の子3兄弟なので順番にやってるらしい。見られないように。(笑)蒸した芋の上に豆が乗せてある1つのお皿を皆でつっついて食べました。たべながらお喋り。楽しかったー。

そこで驚いた事がありました。
私たちが外で遊んでたら女の子がムズング(白人の意だけどアジア人もそう呼ばれる)=私に近づいてきたんです。
4歳位で、田舎では滅多に見ないむずングに興味津々な様子。
そしたら3兄弟はその子を家に招き入れて牛乳をあげて、自分の親戚のように喋り始めました。この子見たことあるの?と聞くと、初めてだよ。とのこと。
わー隣に誰が住んでるかも分からない日本では、こんな近所付き合いありえない!むしろ犯罪としてみなされますよね・・・?
私は彼らが女の子を自然に自分の家族のように扱っているのを見て、うらやましいとおもいました。

帰りのバス停まで手を繋いで歩いてると(仲いい友達だと、男女でも普通に手を繋ぎますー!)えーなんか中国人の女の子と黒人のペアーだーくすくす、という目線をほぼ全ての人から浴び、歓声も上がる始末で、もう中国人ということでいいや!と歓声に応えました。


注目をあびること、そして中国人と呼ばれることを受け入れることがストレスを感じない秘訣!!

2014年9月10日水曜日

ルワンダで考える「クリスチャン」「物乞い」

朝起きると、そこには素敵な朝食が、、。感謝感謝です。

昨日も書きましたが、20年間ルワンダに関わっている日本人のMさんの家に泊まらせていただいたので、ルワンダ社会の変化からルワンダあるあるまで、、とても楽しくお話をさせて頂きました。紛争まっただ中のソマリアやジェノサイド直後の1994年にルワンダ入りし救護活動を行ったとか、、、

特に、その方はクリスチャンだったのですが、
クリスチャンの人々の「自己満足」を超えた、むしろ「自己犠牲」の精神からの活動について、感銘を受ける点がとても多かったです。
ルワンダにいると周りの多くのルワンダ人、日本人の方がクリスチャンでした。
私はそこで初めてクリスチャンの方々と深く話をしたんです。

やはり日本では新興宗教もキリスト教も一緒だと思われていたりしますが、、
私はキリスト教徒の方の倫理観や精神から多くのことを学べたと思いますし、これからも見習っていきたいと思っています。


あと、ルワンダでもやはり多い、物乞いの人びとにどう接することが出来るか、という話もしました。

物乞いの子にお金をあげちゃいけない、って考える人が多いんじゃないかなと思います。
私も一回もありません。
一人を助けただけで、皆のことを助けられるわけじゃないし、麻薬に使っちゃうかもしれないし、集団の中で争いが起きるかもしれない。

でも、そうやって、じゃあ私は関係ありません、知りません、あげません。っていう態度をとることは本当に正しいことなのか。と留学の最後の方から揺さぶられるようになりました。

自分にとってはすごい簡単。脳で簡単に処理できるし、あの子はできればルワンダ政府やルワンダ人によって助けられればいいな、と頭で願って終わり。

でも、今回お話をする中で、私は、やっぱり思考を停止しているだけなのではないか、と思いました。自分にとっては別に負担でもない程度の額や、1つのパン、それで実際に一人が幸せになることができる、一食、一時だけでも、空腹を忘れることが出来るなら、それでいいんじゃないか、と。むしろ、ご飯や小銭を分けることをしないで知らぬ存ぜぬをすることは、責任を逃れようとするあまりに、状況に対して何もアクションを起こしていないだけなんじゃないかと。

留学中に毎日のように彼らとすれ違い、彼らの目をじっくり見た時、「個人」と見て向き合った時に、やはり他人として単に処理できない/すべきでないのだと思います。

だからといって、じゃあ手当たり次第に分け与えればいいと言えないのが難しいところですが、、、、
私は、相手を「物乞いの子」としてではなく「個人」として見て、「考える」ことを忘れないようにしていきたいと感じました。



そしてその後、午前中は資料作成をしていました。

午後からは、あるプロジェクト?を進めるために、在ルワンダの日本大使館や移民局に行って質問。
アフリカンタイムを考慮すると期日に間に合うかかなり怪しい、、、
でもとりあえずスタートするしかないのかなと。


そして夜はルワンダでの親友のファビオラの家に泊まりました。
去年は一緒に授業を受け、家にも何回か泊まって一緒のベッドで寝たり水浴びをした仲なので、久しぶりの再会で本当に嬉しかったー。

夜ご飯が久々の、The ルワンダの家庭料理だったので、お腹を壊さないかかなり心配しながら挑みました。
結果、私のお腹はまだルワンダに対応してるらしい!

芋とご飯に付けてたソースが本当に美味しかったー!

夜はだらだらとお喋りしてたらいつの間にか寝ちゃってました。



2014年9月9日火曜日

生豆の契約完了

今日は朝にキガリ(首都)に向かいました。
正しくは朝早く行こうとして、アフリカンタイムでゆっくりしてたら11時になってました、、、

目的はFemme Caféという学生団体で扱うコーヒー豆の契約をするためです。

活動では
「ルワンダの女性によって」生産された生豆を輸入して
→FemmeCaféが焙煎・パッキング
→日本の方に販売!

しています。

今回の契約は去年よりも40kg多い100kg。

14時にコーヒー農家を取り仕切っているFaustinと合流。
コーヒーのピッキング場に遊びに行って女性たちが働いている様子を見たあと、
契約書をファイナライズして、サインしてきました。

Dallas Investmentは1200人程のコーヒー農家と協力しています。農家の皆さんは豆をウォッシングステーションに持込み、1キロ250フラン〜400フランで買い取られるようです。持って来られたコーヒーは全部買い取るように義務付けられているとのこと。

ピッキング場に居るのは18歳前後の若い人もいればお年寄りの方も居ますが90%は女性。一つ一つ豆を見てピッキングしてます。多い時には1000人の人がここで働くとか、、
女性達のコーヒー、Femme Caféの名前の由来そのもの。


しかし、最後にアクシデントが。書類の準備にあと3日はかかるから、積み荷の期日を延ばすように協力してくださっている商社さんにメールを送れとのこと。もっと早く言ってくれれば2日前に契約しに来たのにーと思ったのですが、とりあえずメールを急いで送りました。商社さんへ迷惑がかからなければいいのですが、、

でも忙しい中でコーヒー場の案内をしてくれたFaustinに感謝です。また今月末に別の契約と工場でピッキング体験をしに訪問したい!

夜はルワンダ国立大の友人とご飯をたべました。
この前卒業したのですが、ルワンダの東大である国立大出で、ほんっとうに頭がいいのに、まだ無職。
ぜったいおかしい!

コネや出自で仕事が得られるルワンダ社会では、能力を基準に雇用する文化がほとんどありません!
貧しい家庭の出身はいくらベンキョウしても職を得ることができない。

私の友達は英語で1つもレポートを書けない役所の役人(大学に通ってる)のために、レポートを書いてあげていました。最初は生計を立てるため、今は、将来に職を優遇してもらうために、タダで書いていると。
更には卒論も全部書いてるんです。
貧しい学生を、職や金をちらつかせて利用するような役人ばかり良い給料を得てるなんて、腹が立ちますー

今日はその後、日本人の方の家に泊まらせていただきました。20年前から既にルワンダに関わってらっしゃる、本当に優しく、素敵なお方でした。なんでルワンダにいる日本人はみんなこんなに優しい方々なんだろう、、
お金がないので、日本人の方やルワンダ人の友人を渡り歩いてます。

今日はとても眠いです。。やはりルワンダでは朝目覚めがいい代わりに眠りが浅いです。


2014年9月8日月曜日

嬉しい再会とバイクタクシーと決勝戦

今日は市場でお買い物をしてスカート二個買いました〜
どっちも3000フラン(500円)結構いい買い物でしょー?

ルワンダ人ってやっぱり優しいなーとおもいました!
私、出国の2日前、ディズニーランドに行ってたんです。
そこからあれよという間にルワンダ。すべてが違う。懐かしいけど、やっぱりすぐに順応できない。
土の道、ほこりっぽい匂い、顔が潰れた物乞い、穀物しかないご飯、女子トイレを普通に使うおじさん、、おじさん、、、

入国して飛び込む全ての状況が衝撃的で、脳に古くて新しい情報。

でも、安心させてくれるのは人の温かさ、ですね。


例えば、
ルワンダのマーケットで服を見てるとチラチラどころじゃない、凝視、そう、まさに凝視されます。こっちがみると見つめ合うことになり、2分位続くことも有ります
でもこちらが挨拶すると必ず笑顔で手を振りながら返事を返してくれます。

で、今日は現地語で多少話したら
売り場のおねえちゃんに「あなたのこと好きー」って言われて、抱きつかれて、値下げ簡単にしてくれて、
私がお釣りをもらいわすれていたら、「あんた2000フラン忘れているでしょ」と教えてもらい、
更には売り場に帽子を忘れてたら、走って届けに来てくれました。

数分前に「この帽子ちょーだい」「だめー知り合いのだから」という会話を交わしていたので、他の途上国なら普通に自分のものにするのかな?と思いますが、

あーー、ほんとこうゆう優しさはこの国の財産だな。。


あと、昔住んでいた家の近くを歩いていると、バイクタクシーが溜まる場所につきました。ココは私が人生で一番モテる場所でなんです。笑

通る度に名前を呼んで10人位集まってきてくれて、無料で乗せてくれることも多かったんです。日本人女性は絶対アフリカだとモテます。ルワンダ語を喋れるようになってきたら、もっと好感をもって接してもらえた気がします。。

今日は久しぶりの再会だったので、昔撮った写真のことや、最近の近況を話せて楽しかったですー。
まだまだ会いたい人がたくさん、、。この後しばらくルワンダ滞在はできないと思うので、もっと行動しなきゃなー


夜は街にあるレストランへ、テニスの錦織君の決勝を見に行きました!負けちゃって残念だけど、あの体格差で決勝までいけたことが本当に感動的だと思います。。

2014年9月7日日曜日

ワークショップ、Research as art and transformation

到着から1日半しか経ってないとは思えない程のスケジュールで、困惑しています

今日は、通っていた大学で丁度「Research as art and transformation
」というワークショップが開かれると聞いて参加してきました。
通常は夜間のクラスですが、時々土日を丸2日使ってワークショップをすることがあります。去年私はTransformation Powerという概念に関するものに参加しました。

熊本大の石原先生という方が、丁度ゲスト講師として教えていらっしゃいました。
水俣病に関する知識が大変豊富で、平和構築の分野で教鞭をとりつつ、今回は大学にボランティアで教えることになったそうです。
1日目は理論的な説明で、私が参加した2日目はより実践的なディスカッションがメインでした。

リサーチの中で、芸術を用いることで相手の深層や本能的な物事への理解が分かる、ということです。
例えば、自己紹介に絵を用いて自分を紹介する。
ルワンダ学生の絵の中にはジェノサイドがあった1994年に印象的なマークが付けられている絵や、川として表された苦難を乗り越えてきた中で、今ある家族との平和な食卓を書いてあるものなどがありました。
この絵によって、その人の価値観やそれを構成するもの、人格等が浮かび上がってきます。

1日中のワークショップでとても中身が濃かったのですが、印象に残ったのは
水俣や広島など、数十年たっても政府と国民の和解や国民同士の衝突が残る日本のケースと比較して、このジェノサイド後の20年間で驚くべき変化を遂げたルワンダのケースから日本へのアドバイスはないか、という質問
「水俣病の根源となった会社はまだ操業を続けているのか。」「まだ続いている。」「それでは、和解は難しいだろう。」
「被害者と加害者の溝を少なくするように努力し、お互いの状況に対し共感を生むことが大切。ルワンダには和解をするような場が用意されたが、日本ではなかったのではないか。」
「経済政策ばかりを優先して、被害者へのケアが遅れた。そのことが和解を遠ざけたのでは。」
「企業だけではなく、背後に居た政府にも大きな責任があった。ルワンダのように政府が被害者の家族をサポートするような体制があれば、被害者側の不満が最小化できたのでは。」
「お互いに罪を批判し訴えるだけではなく、話を聴き合う姿勢が欠けていたのだろう。ルワンダでもジェノサイドを起こしたものの家族や妻などは社会的に虐げられ、差別されているが、彼らに罪はない。そのような共感が掛けている」
「ルワンダのケースでは罪人の家族は本当に大変だ。牢屋にご飯を持って行く必要があるし、夫の居ない仲で家族は生計を立てなきゃいけないし、差別もされる。でも少なくとも家もあるし、生計をたてるためのヤギも居る。でもサバイバーはそれさえもない。家族を失い、家もないんだから。」
「被害者の痛み、ニーズを中心にして考えるのが当たり前だ」
「和解は加害者がテーブルにつかないとはじまらない。」


根本的な話から、ルワンダのケースとの関わりまで、20年間、「ジェノサイド後」を生きてきたルワンダの人の、自分の経験に根ざした言葉にある重みを感じました。

その後は劇や写真を使って、ルワンダ社会に現在ある問題を現し、提案までをする時間。

ルワンダの人は芸術センス(特に歌、ダンス、劇)がすごい!
全くリハーサルしてないのに、「家庭問題」について劇を始める我が同期。
去年はこのノリで演技をするように求められて、アドリブで20分間の劇をしたりしました。
そして途中で笑ってしまったら、「あのシーンは笑っちゃ駄目なところだ」ってまじめに駄目だしされたな

クリスチャンの多いルワンダでは離婚は好ましくないもの。現代は欧米化が進み、離婚も増えてきていますが、やはり聖書に則るといいことではない。
ルワンダ人のパスターは「DVや複雑なときには離婚は良い面もある、だけど聖書によると離婚はするべきではない。」と現代のリアリティーと聖書の教えるところと分けて語っていました。
「離婚と言っても、他に行く場所がないから、同じベットで寝るし、一緒に生活する。だから日本のコンテクストとルワンダのコンテクストでは感覚が違う。」

あとはGender Based Violenceについての班。父は常に酔っぱらい。子どもに男の子がいない。子どもは食べるものがなく、学校に行けない。子どもが多すぎて、その子どもを賄うだけの土地などの財産がないため紛争が起こる。妻が夫を殺してしまう。など現代のルワンダの風刺


夜はブルンジとコンゴの留学生と、授業をして下さった熊本大の石原先生、そして佐々木先生と夕食を共にしました。

大学において留学生は当初私一人だったのですが、佐々木先生の呼びかけでブルンジとコンゴから優秀な4人の留学生がきたおかげで、ディスカッションがとても深みのあるものになりました。
ルワンダの紛争は国内だけでなく、太湖地域、欧米諸国、国連、等複雑な拝啓を理解しなければ語れないからです。

とっても楽しい時間だったのですが、時差もあり、疲れがでて途中で居眠り、、

英語とルワンダ語を思い出すのはとっても疲れる、、、

ルワンダに到着

23時間ほどの空港の旅を終え、バス移動をし、無事去年住んでいたブタレという街にたどり着きました

行程を振り返ると、
空港から、ニャブゴゴというメインのバスターミナルまでは車で30分ほど、15ドルもかかりました。これでも何人かと交渉してみたんですが、固定価格だと言われてしまい、荷物も多かったので止むを得ず飲みました。

空港の両替所は改装中か何かでなくなっていました。去年はあったんだけど。

しょうがないのでタクシー移動後、でっかい黄色の建物に囲まれたニャブゴゴバスターミナルで両替
1ドル=609フラン

そこからはお馴染みのValcanoバスのチケットを買いに行きました。
バス会社は何個かありますが、Valcanoが評判が一番いいと思います。
基本的にカウンターで時間を言ってお金を払うだけです。首都キガリなら英語も通じます。
キガリからブタレは2時間半ほど。2500フラン(400円位)。30分毎に出ています。

すると15時の時点で16:30の切符を渡されました。待つの嫌だなー

と、そこに偶然、大学の元クラスメイトの女の子Dativeに遭遇。
その女の子がまたパワフルな子で、子どもを3人産んで、旦那さんの収入がない中で、自分の収入で生計を立て、大学にも夜間で通っている。英語もフランス語もかなり話せる。

私が事情を説明すると、
「16:30なんておかしい。遅すぎる。」
そう言い残し、バスのチケット売り場へ消えていった彼女。数分後には15:30のチケットを持ってきてくれました。さすが、、!やっぱり友だち大事。

更には私の持ってる大きなトランクをバスに乗せるため、1000フランをプラスで払えというバス会社スタッフを見ると、
「私は正義を行う。ここで待ってて。」
そして交渉に向かった彼女。これが交渉力か。これが正義、、?

彼女は去年も300フランのバイクタクシー代が200フランじゃなきゃオカシイと言って30分交渉してくれたのを思い出しました。

今回はさすがのDativeでも1000フランの値引きは出来ず、「払わないならお前も乗るな」と言われ、値下げを断念。
しょうがないから払おうか、と思い5000フランを出すと、お釣りがなかったらしく、結局払わなくて済みました。らっきー。

夜は去年一番お世話になったS先生のおうちでご飯を頂きました。
ルワンダの親友のSergeもご飯に誘ってくれていたため、楽しい夕ごはん。

S先生ご夫妻はルワンダでのパパとママのように接してくださっていて、話したいことが山程。
Sergeもルワンダでの生活を支えてくれた子で思い出話に花が咲きました。(話してるとキニヤルワンダ語も少しずつ蘇ってくるような)

明日は久しぶりにPIASSの授業にお邪魔します!
空港での出来事も書きたいな〜