2014年9月26日金曜日

予防注射についてー!

去年したものですが、メモー

<摂取したもの>
黄熱病11000円
肝炎A 9000円 1回 =9000
破傷風 2500円 1回 =2500

肝炎B 4500円 2回 =9000
狂犬病7000円 三回 =21000
腸チフス 6500円

<合計金額>
11000+9000+9000+2500+21000+6500= 59000円

予防注射は他の保険などと同じです。摂取せずともいい、だけど、した分だけ安全性が高まる、という性質。つまり「これを摂取してこれを摂取しない」、というのは自己判断です。だれかに聞いて正解が得られるものではないので、財布や、行く地域の地域危険情報と相談して、決めましょう〜

行った病院〜
◎ふたばクリニック(三軒茶屋)
→先生が感染症に見識があり、気さくで相談にのってくれました。調べた中では料金も良心的でした。
1回目12/28
2回目1/8
3回目1/25

で三回行きました。

黄熱病だけは決まったところでしか受けれないので、
◎東京検疫所
一万一千円
パスポート必要

黄熱病を受けるとイエローのカードをもらえます。これを持っていかなければ入国できない場合もあるので要注意!



ルワンダに入るためには!

日本に到着しました
わーあっという間ー
でもルワンダにいるかごとく過去の日記書きます

今回はルワンダへ来る時に必要なものについて!

まず予防注射。これは2ヶ月前から必要。
中でも黄熱病の予防接種をしたことを表すイエローカードというものがないと、入国できません!!!
と、いうことになってますが、去年も今回も見せることもなくルワンダ入りできました。なんでやねーん

次にVISA
これはオンラインで事前申請をちゃっちゃとやっちゃえるのがルワンダの良いところ。

まずルワンダのimmigration officeHPへ。
Online Visaのアプライのページへ。http://www.migration.gov.rw/index.php?id=28
必要事項を入力。invitation leterを添付。

最後のinvitation leterはルワンダのどこかの機関から要請をうけたり招待されていることを証明する書類を相手から書いてもらわなければなりません。
しかしそんな面倒くさいことできない、、、
という人は、invitation leterなしでとりあえず送っちゃいましょう!
そしたら多分メールで添付しろと言ってくるので、時間がないどうすればいいか間に合わない旨を伝えると、VISAの受取証をPDFでくれます笑
あとは、印刷して、紙をもっていき、空港で紙と50ドルを渡すだけ。かんたーん。

私はこの方法でとったのですが、あくまでも一例なので責任はとりませんw


ちなみに空港でも取れるようですが、取れない時のりすくが高いのでオンライン申請はオススメです。
一番安心なのは大使館に行くことです。申請書一式を持って自由が丘の大使館へ。一週間くらい後に取りに行くとかっこいいVISAをもらえます。

では入国時—!
カタール空港で乗換えでしたが、ルワンダ行きの便の待合席はうるさいうるさい!いい意味で。
初対面でもガンガン世間話に花を咲かせるのがアフリカ流。
音楽を大音量で鳴らし始める青年とその音楽にのる周りの人々。アフリカな感じがしてきたー!
しまいにはキニャルワンダ語でジェノサイドの話をする人も居ました。

さて、カタール空港経由だと、ウガンダのエンテべで一回人を降ろします。エンテベ空港とキガリ空港は1時間ほどの距離。間違ってエンテベ空港で居りないように!
私は最初、来た時はえっなんでウガンダ来たんだ?飛行機乗り間違えたか!しまった!いやいや乗り間違えするはずないわ!え?なんで?と一人でプチパニックになりました←




キガリ空港の中に入ってから特徴的なのはビニール袋の規制とエボラの確認(今だけ)です。

ルワンダではビニール袋は持ち込んじゃ駄目!持ってると没収されます。それはルワンダは環境大国も目指していて(野望が多いルワンダ政府)、国内では買い物したら全て紙袋を渡されるほどです。お米を売る時くらいしかビニールみなかったかな?

しかーし!去年は100枚のビニール袋パック、今年は仕分け用のビニール袋をしっかり持ち込んだのですが、全く注意されることもなく、通過!
どうしてだろう、飽きたのかな、、、

また今の時期に特徴的なのがエボラ出血熱にかかってないかの確認。


 リベリアやシエラレオネなど、エボラ出血熱の感染国から来た人は特にチェックされます。荷物検査の前に熱があるかどうかの検査も有ります。


 こーんな感じですかね、まあなんとかなります。


2014年9月25日木曜日

俺は"ブラック"だ!

アフリカのイメージといえば紛争とか発展途上、貧困といったとってもくらーい!イメージ。
写真で見るのはお腹の膨れた子どもとか、サバンナに住む部族?

ルワンダだったら「ジェノサイドの国」!

そんな現実をアフリカ人はどう思ってるのか?!!

彼らも自分たちの国がジェノサイドとか貧困のイメージで片付けられていることは知っています。
それを受け止めているし、日本はリッチな国、自分たちは貧しい国だからーとよく言っています。
日本のような先進国に憧れを持つ人はたくさんいます。



しかし悲観的な見方だけでは決してありません!!!

私の友達は言いました。

「この国を見てみろ!みんなリラックスしててオープンで社交的で、みんながゆっくり家族や友達と話す時間がある。これ以上になにがいる?」

捉え方は色々あると思いますが、私はとても納得しました。

日本は、お金があって食べるものがあって服も何でも新品のものを買うのが当たり前の社会です。お金がないと言っても、カメラを持ってパソコンをもって、時々どこかに遊びに行くことは、大体の人にとって難しいことではありません。

しかし、自殺は多いし、うつ病は珍しくなく、家族で多くの時間を過ごせない人も多い。


そうした先進国の現実と自分たちの状況を比べて、「アフリカ的であること」に誇りを持っている人もたくさん居ます


私がルワンダに来たばかりのこと。ある日私は「ムズング(外人)」とあらゆるところで叫ばれることに苛立っていました。
友「なんで嫌なの?」
私「考えてくれ、もし日本に来たとして、ブラック、っていっつも言われたら嫌でしょ?!」
友「えーなんで?そしたら俺は『ブラック』だ!って返すよ!」

いつも周りから叫ばれるのとは違うだろーとも思いますが、

ここで彼が話してくれたのは、アフリカ人であること、ルワンダ人であることは自分の誇りだ、ということでした。

アフリカを「哀れんでる」だけの人もいるかもしれませんが、

日本だって「哀れまれて」ます。よ。

2014年9月20日土曜日

和解の可能性

今日は日本人でルワンダのツアーをしている団体の方のバスに便乗させてもらい、キレへという東部州の田舎街に行ってきました。

キレへでは、REACHというNGOが活動しています。(Reconciliation Evangelism And Christian Healing http://www.reach-rwanda.org/)
去年私がインターンをしていたところです。


ジェノサイドの加害者と被害者同士が和解して、一緒に働く?

そんなの夢物語みたいですよね。

自分の家族を殺した人、自分を殺そうとし傷つけた人を許して、一緒に生きていくなんて、普通考えられません。

私だったら、どんなに謝られても多分許すことなどできません。(心狭いですし!想像できない!


しかし、このREACHの参加者はというと、、

ジェノサイド直後は全く口を聞かず、お互いを恐れていました。片方はまた殺されるかもしれない、片方はリベンジされるかもしれない、と。

しかし今は、一緒に養豚を開始し、毎日いっしょに小屋の掃除や餌やりをし、お互いの家に招きあうまでになっているんです。



それにはREACHの償いの家プロジェクトや和解のためのセミナーが、参加者の心の変化に大きな役割を果たしました。

償いの家プロジェクトでは、加害者が被害者のために家を建てます。材料はREACHが支援しますが、あとは加害者側の労働によって全て行われます。

色んな説明を省略しましたが、
こうして、少しずつ、少しずつ、両者に信頼が戻ってきました。
まるで奇跡のようです。




もちろん最初はそんなことありえるのか?と疑っていました。
しかし現地でインターンをしていると、話しかけ合ったり、冗談を言って笑ったりする様子を間近でみました。

もちろん心の底から、全てを忘れることなんてありえません。
でも、参加者のみなさんはそれぞれの葛藤の中で、和解というプロセスを歩んでるんだなと感じました。
和解はけっして「イベント」ではなく「プロセス」なのですね、、、


そのREACHで大きな働きをした日本人の方がいます!
それは佐々木和之先生。

ルワンダに10年近く住み、REACHで働いた後、今は大学でルワンダ人に平和学を教えています。私が留学で最もお世話になった方です。
上記の日本人のツアーの皆さんも佐々木先生の案内でキレへまでわざわざ足を運んでくださいました。

今日は養豚プロジェクトで豚が大きく育ったことのお祝いの日。
小さいセレモニーでしたが、踊ったり、4人の加害者と被害者からのお話を聞いたり(感動的な話なので、また別のポストで)、日本人の皆さんからの素晴らしい歌もあって素敵な会でした。(私は秋田音頭の披露でした、、お目汚し失礼しました。)



夜は、皆さんと離れ、去年ホームステイをしていた先にお泊り。このポストらへんですねhttp://umunyarwandakazi.blogspot.com/2013/11/1.html

懐かしくてとても嬉しい気持ちとともに、わーと近況を話して就寝。長い一日でした、、。

2014年9月19日金曜日

アフリカ人は言語力がすごい!

今日は午後から首都キガリに移動し、ピースクラブの友人たちと合流しました。明日からの田舎の方面の旅に備えます。

そこでピースクラブのミーティングをしたのですが、始まった瞬間に9人中5人がなぜか外に消える。
おいおいおい
って思うけども、ルワンダではこんな自由退出が恒常化してるので、皆気にもとめずスタート。

ルワンダは講演会中に司会者の携帯がなって、電話に出て、喋る様子をみんなでみつめるのは普通。
授業中に携帯が鳴り響いてそのまま生徒が話しながら出て行くのも普通。
とにかく自由!

自分の椅子の余ってる部分に、友達が裸足の足を乗っけてきたりすることもあります。(最初のときは二度見したよね)

みんなが自由な行動をするし、それをみんなが気にもとめないので、世界が回っています。気にしたら負け。


逆に良いところと言えば、本当に発言する人がおおい!
会議になるとみんなぐわーと意見を言うので、日本のように2,3人だけ発言してるようなことは少ないと感じます。

今回もぐわーっと皆が好き勝手言って、前期の反省や会計報告などをしてなんとか終わり。
結論としては、プランを立てすぎて(夢が大きすぎて)、実行に移せなかったものが多かった!!!



夜は皆でレストランに行ったんですけど、そこで改めて感じたのはアフリカ人の言語力!

会議は英語だったんですけど、日常生活では会話がごっちゃまぜ。(ルワンダ人だけだとキニャルワンダ語が主ですが、ピースクラブにはコンゴ人やブルンジ人もいるので)

キニャルワンダ語、フランス語、英語、スワヒリ、キルンディ語


日本では英語を使用する職に就いたり、留学しなければ英語を喋る機会は全くないでしょう。英語を日本語で勉強してるのが普通だと思います。読み書き中心。だから大学を出ていても喋れないし聞けない人がとても多いですよね!

でもルワンダや他のアフリカの国は英語やフランス語、ポルトガル語等、欧米系の言語で授業を受けて育っています。
英語を喋れなければ職を探すのに大きな不利益となります。



でも最も特筆すべきは、英語のミスを全く恐れない態度!多分アフリカ人の適当さや、学校で試験を英語で書いたり、聞いたりしているからというのもあるんでしょう。


この差、、、。
日本語という自国言語の力、文化が保たれているのはいいことですし、全部英語で教えるべきだとは全く思いません。
しかし、現在の日本の教育方法の限界を感じます。

つまり、言語を学ぶことはツールに過ぎません。
受験に合格して、TOEICで良い点をとるために英語を学んでるのではありません。

私の受けてきた教育は英語を覚えることが目的でした。授業で英文を喋る機会はほぼゼロ

ただ単語を覚えろというだけではなくて、
その先に、(言語を使用して)、◯◯をするという目的が必要なはず!
読み書きだけではなく、実際に使って、何が出来るか、どんな可能性が広がるかを実感できれば、もっと英語力は向上するはずです。
英語を使えば世界中どこだって旅できるし、コミュニケーションをとれるし、ニュースや本だって何倍もの情報が手に入れられる

そんな楽しさ、可能性の部分が日本では欠落しているような、、、


色んな言語で楽しそうに話している皆といると、なんかそんなことを思ってしまいました。

2014年9月18日木曜日

汗っかきにとっての天国、、?

では問題!

ルワンダと日本、暑いのはどっちだ!




正解は、、、、

断然日本です。


日本だと外を歩いて汗をダラダラかき、電車やオフィスに入った瞬間ギンギンに冷やされるでしょ。
私は汗っかきなので、家にいても汗をかきます。、、いきづらし。


一方でルワンダは、アフリカにあってもとても涼しい気候です。
「千の丘の国」の名はだてじゃない!
標高は1600M!

特にいま住んでいるブタレはとっても住みやすいです。
日中はそれなりに暑いけど、
夜は時期によっては寒いくらいです。今はシーツ+毛布+薄い布団で丁度いいくらい。


汗を書くことがあっても、日本のようにジーメジメしているわけではないので、一瞬で乾くのです。

よって多くの外国人はルワンダの気候を気に入ることが多いのです。


私もだーいすきなルワンダの空。
青く澄み渡って、空は広くてお散歩してると気持ちいいー


夜にはプラネタリウムより綺麗な星空が広がって癒されます。

あまり人工的な灯りがないぶん、余計きれい。


私が着いた瞬間から雨季も去ってくれたようで、毎日晴天!!!!
あと2週間も晴れが続きますように!

トラウマに終わりはない、、?

ここ数日、わけあって毎日、違う人のジェノサイド当時の話を聞いています。
そこでトラウマについて書こうと思います。

当時800万人の人口のうち、50万〜100万人の人々が被害にあったと言われています。

国民の多くは被害者、被害者の家族、加害者、そしてその家族であるか、おびただしい数の殺人を目にしていた人々であるため、何かしらのトラウマを持っています。。

しかし、目に見えない「心に傷を持つ人々」は十分なケアを受けてきませんでした。
あまりに多すぎる患者数は理由の1つでしょう。
または手を切り落とされていたり、失明したり、顔を刃物で何度も切りつけられていたり、レイプされていたり、そのような莫大な数の「重病者」に隠れてしまっていた事もあるでしょう。
貧困の中で、心の病気にかけるお金なんかなかったこともあると思います。
また、被害者側の民族グループのトラウマについて強調されるあまりに、加害者またはその家族の心の病気についてはほとんど目が向けられてませんでした。


今までで、一番聞いてて辛かったのは、複数人からレイプをされた、Fさんから話を聞いた時です。

「ジェノサイドが起こってからは隠れ住み、タンザニアへ夫と子供と一緒に逃げてました。
国境付近で一度に5人に性的暴行を受けました。性病になってしまって、、、そのせいで子供も産めなくなってしまった。HIVにならなかったのだけが幸い。だけど、現在までも苦痛は完全に消えてません。トラウマ、特に性的暴行を受けた時の記憶は忘れられません。夫は運転手だったんですが、ジェノサイド中に足を何度も打たれた後遺症で、ブレーキを踏むと激痛がするようになりました。仕事を続けれなくなったのです。未来が見れない状態で、強い絶望感を感じて生きてきました。自分のこと、未来のこと、子供のことを考えて、眠れない日々。親族は75人殺されたんです。」
今はNGOの協力を得て加害者を許し、不眠や深夜徘徊といったトラウマの症状は大分なくなったようですが、やはり時々記憶が蘇ってくるようです。20年経った今も。


私の友人Sはジェノサイドの間、家族から離れ一人で逃げ回らなければなりませんでした。当時8歳。難民キャンプから難民キャンプへ転々と逃げまわっていたそうです。その影響か、ジェノサイドの直後には、「どこにいたのか」「何をしていたのか」を誰にも、何も話すことが出来なかったほどです。

その後数年間、彼は夜に一人で道を歩いても、驚くほど何も恐怖を感じなかった。それは「ジェノサイドより怖いものはあるわけない。」という心理からきていたようです。

これも一種の強いトラウマでしょう。
しかし、大学になるまで、自分がトラウマを持っていたことにさえ気づかなかったそう!
大学に入ってPTSD(Posttraumatic stress disorder)に関する授業を受けた際に、初めて、意識したんですって。



また、別の友人Jさんの奥さんはジェノサイドから18年経った2年前から、強いトラウマの症状を持つようになりました。それまで18年間何もなかったのに!です。

ジェノサイドが起きた4月になると、トラウマの症状を訴える人も多くなります。

私はこの友人のうちに去年の5月に遊びに行きました。すると、奥さんはドアからはいってきた私を見て、全くニコリともしませんでした。外国人に距離を置いているのかと思い、必殺キニャルワンダ語で話しかけ(!)、それでも無反応。

私は嫌われたのかと思い、ショックを受けていました。

するとJさんが一言、
「ごめんね、精神病なんだ、ジェノサイドのせいで。今度病院に行くんだ。」

3ヶ月後、症状が治ったと聞いてまた遊びに行きました。すると、本当に同一人物?と疑いました。ワハハッと笑うし、テキパキとご飯を作って、色々話しかけてくれて。

良かったーと思ったですけど、次の年の4月にまた精神病院に入院してしまいました。


治ったと思っても、ふとしたタイミングで症状が戻ってくる。恐ろしい。
時が過ぎて、悪化することもある。
ルワンダ社会が丁寧に、、、真摯に取り組んでいかねばならない課題だと感じています。