2014年9月20日土曜日

和解の可能性

今日は日本人でルワンダのツアーをしている団体の方のバスに便乗させてもらい、キレへという東部州の田舎街に行ってきました。

キレへでは、REACHというNGOが活動しています。(Reconciliation Evangelism And Christian Healing http://www.reach-rwanda.org/)
去年私がインターンをしていたところです。


ジェノサイドの加害者と被害者同士が和解して、一緒に働く?

そんなの夢物語みたいですよね。

自分の家族を殺した人、自分を殺そうとし傷つけた人を許して、一緒に生きていくなんて、普通考えられません。

私だったら、どんなに謝られても多分許すことなどできません。(心狭いですし!想像できない!


しかし、このREACHの参加者はというと、、

ジェノサイド直後は全く口を聞かず、お互いを恐れていました。片方はまた殺されるかもしれない、片方はリベンジされるかもしれない、と。

しかし今は、一緒に養豚を開始し、毎日いっしょに小屋の掃除や餌やりをし、お互いの家に招きあうまでになっているんです。



それにはREACHの償いの家プロジェクトや和解のためのセミナーが、参加者の心の変化に大きな役割を果たしました。

償いの家プロジェクトでは、加害者が被害者のために家を建てます。材料はREACHが支援しますが、あとは加害者側の労働によって全て行われます。

色んな説明を省略しましたが、
こうして、少しずつ、少しずつ、両者に信頼が戻ってきました。
まるで奇跡のようです。




もちろん最初はそんなことありえるのか?と疑っていました。
しかし現地でインターンをしていると、話しかけ合ったり、冗談を言って笑ったりする様子を間近でみました。

もちろん心の底から、全てを忘れることなんてありえません。
でも、参加者のみなさんはそれぞれの葛藤の中で、和解というプロセスを歩んでるんだなと感じました。
和解はけっして「イベント」ではなく「プロセス」なのですね、、、


そのREACHで大きな働きをした日本人の方がいます!
それは佐々木和之先生。

ルワンダに10年近く住み、REACHで働いた後、今は大学でルワンダ人に平和学を教えています。私が留学で最もお世話になった方です。
上記の日本人のツアーの皆さんも佐々木先生の案内でキレへまでわざわざ足を運んでくださいました。

今日は養豚プロジェクトで豚が大きく育ったことのお祝いの日。
小さいセレモニーでしたが、踊ったり、4人の加害者と被害者からのお話を聞いたり(感動的な話なので、また別のポストで)、日本人の皆さんからの素晴らしい歌もあって素敵な会でした。(私は秋田音頭の披露でした、、お目汚し失礼しました。)



夜は、皆さんと離れ、去年ホームステイをしていた先にお泊り。このポストらへんですねhttp://umunyarwandakazi.blogspot.com/2013/11/1.html

懐かしくてとても嬉しい気持ちとともに、わーと近況を話して就寝。長い一日でした、、。

2014年9月19日金曜日

アフリカ人は言語力がすごい!

今日は午後から首都キガリに移動し、ピースクラブの友人たちと合流しました。明日からの田舎の方面の旅に備えます。

そこでピースクラブのミーティングをしたのですが、始まった瞬間に9人中5人がなぜか外に消える。
おいおいおい
って思うけども、ルワンダではこんな自由退出が恒常化してるので、皆気にもとめずスタート。

ルワンダは講演会中に司会者の携帯がなって、電話に出て、喋る様子をみんなでみつめるのは普通。
授業中に携帯が鳴り響いてそのまま生徒が話しながら出て行くのも普通。
とにかく自由!

自分の椅子の余ってる部分に、友達が裸足の足を乗っけてきたりすることもあります。(最初のときは二度見したよね)

みんなが自由な行動をするし、それをみんなが気にもとめないので、世界が回っています。気にしたら負け。


逆に良いところと言えば、本当に発言する人がおおい!
会議になるとみんなぐわーと意見を言うので、日本のように2,3人だけ発言してるようなことは少ないと感じます。

今回もぐわーっと皆が好き勝手言って、前期の反省や会計報告などをしてなんとか終わり。
結論としては、プランを立てすぎて(夢が大きすぎて)、実行に移せなかったものが多かった!!!



夜は皆でレストランに行ったんですけど、そこで改めて感じたのはアフリカ人の言語力!

会議は英語だったんですけど、日常生活では会話がごっちゃまぜ。(ルワンダ人だけだとキニャルワンダ語が主ですが、ピースクラブにはコンゴ人やブルンジ人もいるので)

キニャルワンダ語、フランス語、英語、スワヒリ、キルンディ語


日本では英語を使用する職に就いたり、留学しなければ英語を喋る機会は全くないでしょう。英語を日本語で勉強してるのが普通だと思います。読み書き中心。だから大学を出ていても喋れないし聞けない人がとても多いですよね!

でもルワンダや他のアフリカの国は英語やフランス語、ポルトガル語等、欧米系の言語で授業を受けて育っています。
英語を喋れなければ職を探すのに大きな不利益となります。



でも最も特筆すべきは、英語のミスを全く恐れない態度!多分アフリカ人の適当さや、学校で試験を英語で書いたり、聞いたりしているからというのもあるんでしょう。


この差、、、。
日本語という自国言語の力、文化が保たれているのはいいことですし、全部英語で教えるべきだとは全く思いません。
しかし、現在の日本の教育方法の限界を感じます。

つまり、言語を学ぶことはツールに過ぎません。
受験に合格して、TOEICで良い点をとるために英語を学んでるのではありません。

私の受けてきた教育は英語を覚えることが目的でした。授業で英文を喋る機会はほぼゼロ

ただ単語を覚えろというだけではなくて、
その先に、(言語を使用して)、◯◯をするという目的が必要なはず!
読み書きだけではなく、実際に使って、何が出来るか、どんな可能性が広がるかを実感できれば、もっと英語力は向上するはずです。
英語を使えば世界中どこだって旅できるし、コミュニケーションをとれるし、ニュースや本だって何倍もの情報が手に入れられる

そんな楽しさ、可能性の部分が日本では欠落しているような、、、


色んな言語で楽しそうに話している皆といると、なんかそんなことを思ってしまいました。

2014年9月18日木曜日

汗っかきにとっての天国、、?

では問題!

ルワンダと日本、暑いのはどっちだ!




正解は、、、、

断然日本です。


日本だと外を歩いて汗をダラダラかき、電車やオフィスに入った瞬間ギンギンに冷やされるでしょ。
私は汗っかきなので、家にいても汗をかきます。、、いきづらし。


一方でルワンダは、アフリカにあってもとても涼しい気候です。
「千の丘の国」の名はだてじゃない!
標高は1600M!

特にいま住んでいるブタレはとっても住みやすいです。
日中はそれなりに暑いけど、
夜は時期によっては寒いくらいです。今はシーツ+毛布+薄い布団で丁度いいくらい。


汗を書くことがあっても、日本のようにジーメジメしているわけではないので、一瞬で乾くのです。

よって多くの外国人はルワンダの気候を気に入ることが多いのです。


私もだーいすきなルワンダの空。
青く澄み渡って、空は広くてお散歩してると気持ちいいー


夜にはプラネタリウムより綺麗な星空が広がって癒されます。

あまり人工的な灯りがないぶん、余計きれい。


私が着いた瞬間から雨季も去ってくれたようで、毎日晴天!!!!
あと2週間も晴れが続きますように!

トラウマに終わりはない、、?

ここ数日、わけあって毎日、違う人のジェノサイド当時の話を聞いています。
そこでトラウマについて書こうと思います。

当時800万人の人口のうち、50万〜100万人の人々が被害にあったと言われています。

国民の多くは被害者、被害者の家族、加害者、そしてその家族であるか、おびただしい数の殺人を目にしていた人々であるため、何かしらのトラウマを持っています。。

しかし、目に見えない「心に傷を持つ人々」は十分なケアを受けてきませんでした。
あまりに多すぎる患者数は理由の1つでしょう。
または手を切り落とされていたり、失明したり、顔を刃物で何度も切りつけられていたり、レイプされていたり、そのような莫大な数の「重病者」に隠れてしまっていた事もあるでしょう。
貧困の中で、心の病気にかけるお金なんかなかったこともあると思います。
また、被害者側の民族グループのトラウマについて強調されるあまりに、加害者またはその家族の心の病気についてはほとんど目が向けられてませんでした。


今までで、一番聞いてて辛かったのは、複数人からレイプをされた、Fさんから話を聞いた時です。

「ジェノサイドが起こってからは隠れ住み、タンザニアへ夫と子供と一緒に逃げてました。
国境付近で一度に5人に性的暴行を受けました。性病になってしまって、、、そのせいで子供も産めなくなってしまった。HIVにならなかったのだけが幸い。だけど、現在までも苦痛は完全に消えてません。トラウマ、特に性的暴行を受けた時の記憶は忘れられません。夫は運転手だったんですが、ジェノサイド中に足を何度も打たれた後遺症で、ブレーキを踏むと激痛がするようになりました。仕事を続けれなくなったのです。未来が見れない状態で、強い絶望感を感じて生きてきました。自分のこと、未来のこと、子供のことを考えて、眠れない日々。親族は75人殺されたんです。」
今はNGOの協力を得て加害者を許し、不眠や深夜徘徊といったトラウマの症状は大分なくなったようですが、やはり時々記憶が蘇ってくるようです。20年経った今も。


私の友人Sはジェノサイドの間、家族から離れ一人で逃げ回らなければなりませんでした。当時8歳。難民キャンプから難民キャンプへ転々と逃げまわっていたそうです。その影響か、ジェノサイドの直後には、「どこにいたのか」「何をしていたのか」を誰にも、何も話すことが出来なかったほどです。

その後数年間、彼は夜に一人で道を歩いても、驚くほど何も恐怖を感じなかった。それは「ジェノサイドより怖いものはあるわけない。」という心理からきていたようです。

これも一種の強いトラウマでしょう。
しかし、大学になるまで、自分がトラウマを持っていたことにさえ気づかなかったそう!
大学に入ってPTSD(Posttraumatic stress disorder)に関する授業を受けた際に、初めて、意識したんですって。



また、別の友人Jさんの奥さんはジェノサイドから18年経った2年前から、強いトラウマの症状を持つようになりました。それまで18年間何もなかったのに!です。

ジェノサイドが起きた4月になると、トラウマの症状を訴える人も多くなります。

私はこの友人のうちに去年の5月に遊びに行きました。すると、奥さんはドアからはいってきた私を見て、全くニコリともしませんでした。外国人に距離を置いているのかと思い、必殺キニャルワンダ語で話しかけ(!)、それでも無反応。

私は嫌われたのかと思い、ショックを受けていました。

するとJさんが一言、
「ごめんね、精神病なんだ、ジェノサイドのせいで。今度病院に行くんだ。」

3ヶ月後、症状が治ったと聞いてまた遊びに行きました。すると、本当に同一人物?と疑いました。ワハハッと笑うし、テキパキとご飯を作って、色々話しかけてくれて。

良かったーと思ったですけど、次の年の4月にまた精神病院に入院してしまいました。


治ったと思っても、ふとしたタイミングで症状が戻ってくる。恐ろしい。
時が過ぎて、悪化することもある。
ルワンダ社会が丁寧に、、、真摯に取り組んでいかねばならない課題だと感じています。


2014年9月16日火曜日

ここ数日の報告

正直、気が滅入っています!

久しぶりの友達を訪ねて、馬鹿みたいなはなしして、ご飯食べて、ルワンダの雑貨を買い物したり、楽しんでいます。とても!本当に来てよかった。

では、なぜ気が滅入っているのか。

というのも、ほぼ毎日、ジェノサイドに関する話を2〜4時間聞き、文字起こしをしたりしているからです。

(ジェノサイドのことばかりではないのですが、)友達と会い、ライフストーリーをじっくり聞く。

もちろん親しい友人に、です。

この国では、短期滞在者や遠い友人には言えないことがたくさんあります。
しかし、去年ある程度仲良くしていた友達とは、その壁をある程度超えることができます。(と信じてる。)

だからこそ、今、彼らとこのようにオープンに話しができていることはとても嬉しいことです。相手のことをよりよく知るいい機会でも有ります。終わったあとは、相手がもっと近くなったような気がする。
正直にいうと、他の人が中々できないことをしているやりがいさえ感じます。

でも!
8日間毎日聞いているとやっぱり疲れます!
自分の精神力の弱さを呪うほど。
一人一人のストーリーは時に、内容の重い、単発の連続ドラマのように感じられます。

今年大学でルワンダに関する展示を作っていた時も同じような気分になりました。現実が重すぎて、それを数枚の模造紙で表せれるとも思えなかったし、私の文章能力では事実を矮小化してしまうような、、、。と考えて、1ヶ月間全く作業が進まなかったり。



なんと今日で24日間滞在のうち12日間が過ぎました。
負けてる場合じゃないですねー!
日本のガンバリズムよ、今ここに、、我に力を。

2014年9月15日月曜日

誰がサバイバー「じゃない」の?

ジェノサイドサバイバー。

「ルワンダの1994年のジェノサイドで両親や家族を失ったり、殺される危険性があった人々」をそう呼びます。

サバイバー。誰のことを指すのでしょうか。とても曖昧で明確な基準はありません。しかし、多くのケースでは「ツチ」のサバイバーのことを指します。

ジェノサイドの時に殺された人でも「フツ」に属している場合は、同じ扱いではありません。

例えばジェノサイドの追悼週間においては、一週間国民全員が仕事を停止し、被害者の話を聞いたり、トラウマや、ルワンダの歴史について、毎日4時間以上の講演を聞かねばなりません。

私は去年色々な地域の集会に出席してみたのですが、そのときに出てくる言葉や追悼は殺された「ツチ」に対するものばかりでした。講演する被害者もツチの人々ばかり。

また、大学での追悼式でも、それは一緒。穏健派であり、ジェノサイドで殺されたフツやツチを助けたフツの人々に関する発言はほとんどありませんでした。

つまり、フツの被害者には発言する機会もなく、加害者側であるような扱いを受けているように感じたのです。

そもそも日本では「ルワンダのジェノサイド」と言われますが、ルワンダでは「the Genocide against the Tutsi」です!

もちろん、ツチ側が圧倒的に多い人数を殺されたことは事実でしょう。
しかし、この「意識的に分けられた扱い」は今のルワンダ社会に強い不公平感を生み出しています。

*追記
フツとかツチとかで分けきれない人々もたくさんいます。例えば、お父さんがフツでお母さんがツチ、と言った場合、地域によってサバイバー扱いされるかどうかは違うようです。

2014年9月13日土曜日

あなたはどのカテゴリー?

ルワンダでは国民全員が6つのカテゴリーに分類されています。
Ubudeheという一連の貧困削減アプローチの基準となるものです。
経済状況によってどのカテゴリーかが決まります。

分け方はこちら。
1)Abject poverty: 物乞いや他からの助けによって生きており、いつ死んでもおかしくない
2)Very poor: 生き残るために働いているが、財産はなく食べるものにも乏しいレベル
3)Poor: 少しばかりの財産と栄養に乏しい食事、子どもが高校に行くお金はない
4)Resourceful poor: いくつかの土地、牛、自転車、標準的な生産があり、高校に行ける。健康にもより少ない危険性
5)Food rich: 広大な土地とバランスの撮れた食事、家を持つ。子どもは大学に行ける
6)Money rich: 銀行にお金があり、ローンも組める。美しい家、牛、車、肥沃な土地、満足行くご飯と終身雇用。
以下原文
•Those in abject poverty locally referred to as ‘abatindi nyakuja’, own no property, live on begging and help from others, and consider it lucky if they died.
The second category, is the very poor and these have no house, live on poor diet which they can afford with difficulty, work every day for others for their survival, have tattered clothes, own no portion of land, and do not own cattle 
•The third category is called the poor. These depend on food deficit in nutrients, own a small portion of land, have low production and their children cannot afford secondary education 
•The fourth category comprises the resourceful poor who own some land, cattle, a bicycle, have average production, their children can afford secondary education, and have less difficulties in accessing health care. 
•In the fifth category lie the food rich people who basically own big lands, eat balanced food diets and live decent houses. They employ others, own cattle, and their children easily afford university education. 
•The sixth category is the money rich, who comprise of people with money in banks, receive bank loans, own a beautiful house, a car, cattle, fertile lands, sufficient food and are permanent employers.


このカテゴリーで何があるかというと、貧困レベルが高い人達が学校に行けるように改善されているか等の統計をとったり、開発の優先度を考えたり、Mutuelle de Santéという国民保険制度を負担を無くす、とのことです。貧しい人を認識して優先して援助するのはいいことですね。おかげで保険には入れたと感謝する声を聞きました。

が、

よく考えてみて下さい。あなたはPoorに所属します。と言われてどんな気がするか。
こうやって人を単純に分類する発想、どうなんでしょう。経済状況だけで割り切れるものでもないような。不満を持つ人は周りに多く居ます。

そして、地域の行政が勝手にカテゴリーを決めるため、このカテゴライズにはかなりの地域差があるようです。例えば都市でカテゴリー2に属する人が田舎のカテゴリー3よりよっぽどいい給料をもらっているなど。

ちょうど昨日のニュースでカテゴリーの基準をファイナライズしなきゃーと政府が言っていると聞きましたが、どう変わっていくのでしょうか