2013年10月28日月曜日

機会の平等

東京で生きるより、秋田にいるころの方が何も考えずゆっくり生きていました。
なぜかというと考えなきゃいけないこと、やらなきゃいけないこと、娯楽に行く所、といった「選択肢」が驚くほど少なかったからでしょう。
特に特技もないし、趣味もない私なので、何かに熱中した記憶があまりありません。
強いて言えば趣味は一人オセロと読書でした。(楽しかったです)
何もすることもないけど、何かに焦らされることも少なく。
私は秋田が好きです。東京に来てからますます郷土愛というものが深まったようです。
少なくとも老後は秋田のような田舎で過ごしたいなーと思います。

しかし、大学受験に際しては、何もない秋田から出たいという強い気持ちはありました。

もし私があの時東京に来るのを止められていたら、もしくは財政的な余裕がなく断念せざるを得なかったら、相当なストレスと抑圧を感じていたはずです。
いわゆるお勉強にかけた努力に見合うチャンスがないということにわだかまりを感じていたはずです。

今日は機会の平等ということについて考えていたのですが、

私はルワンダの人は日本に比べ社会的に充足した状態にあり、日本人が憐れむどころか見習うべき点がたくさんあると思います。みんな楽しそうに笑うし、声を掛け合ったり、家族や友達といる当たり前の時間を当たり前に持っています。

しかし先進国に住む私達が海外旅行を気軽に行う一方で、300円かければいける隣の国にも行ったことがない人がたくさん居ます。
欧米人やアジア人の人と話していると、「日本に今度行こうと思ってる」「日本に来なよそしたら案内するから」「絶対行くよ!」という会話になるのですが、ルワンダ人の友達と話していると「日本に行きたい!」「来なよそしたら案内するから」「でも実現可能かは分からない、、航空券も高いし、行ってからもかかるんでしょ?将来的に絶対行きたいけど、、」

という会話になってしまいます。
大学へのアクセスがない若者もたくさん居ます。一年で4万ほどの授業料は現地の人にとっては大金です。
今は働いて機会を待っているけど、いつになったら貯まるのか予想もつかない。
または労働力需要が少なすぎて働くことも出来ず居候生活、など、よく聞く話です。

そんな時、ルワンダ人の友達になんて返せばいいのか、よく分からなくなってしまうのです。
所詮自分は幸運にも機会を得て自分の好きなように留学し、物価のギャップを利用してそれなりの暮らしをしているのですから。

平和学の権威ヨハン・ガルトゥングがPotentiality潜在的実現可能性のために構造的な暴力が克服されるべきと論じましたが、これも彼がpotentialityを妨げられている状態と言うのではないでしょうか。
日本では(もちろん全てが簡単というわけではないですが、)お金を借りたり、奨学金をもらうことが比較的容易にできます。田舎の学校と言っても当たり前にパソコンが使えますし、勉強用具の点でほとんど差異は出ないと思います。
もちろん私も田舎育ちなので、都会に比べれば様々な面で大学進学などへのチャンスが狭められていたと感じます。
しかし、機会が全くない人は少ないと思います。

機会の平等、特に教育へのアクセスがどうすれば改善されるか、
ルワンダはかなり進んでる方だと思うのですが、
来月は現地で田舎の現状をもうちょっと見てきたいと思います。

2013年10月24日木曜日

インターネットについて

インターネットが最近本当に遅い。
Gmailを開くのに10分、幸運だと1つのメールを開くのに5分
普段は開けないといった感じ。
Facebookは上の青いバーしか表示されない。
アフリカの地でこれだけインターネット回線が発達していることはもちろん最初は驚きであったけれど、
回線があるのに使い物にならないのでは、最初から無い方がマシなのではないかと思う。


ところでわたしの通う大学では、みんなが様々な言い訳を言って文献を読んでこないのですが、その大きな言い訳の1つとして、インターネットコネクションがあります。
パソコンを持っている人は少ないし、インターネットを使うためのモデムを持っているひととなると極稀です。
そして繋がったとしても回線は遅くてDLも途中で強制終了したり。
多くの資料がメールで送られ読んどけと言われる時もあるのですが、実際読んで来る人はほとんどいません。
学校のコンピューター室に至っては悲劇的な状況で、私は今まで回線がいい時にあたった試しがありません。

まあ単に不真面目な人も多いわけなんですが、

そうやって家にネットもないし、朝から学校の前まで仕事をしているのでどこか別の場所で使う暇もないような人も、一枚3円のコピーをするお金がない人も居るわけです。

そうなると先生の側からも強くいうことが出来ず。
ルワンダの先生はパソコンが壊れたといって必要な情報を開示してくれないことさえあります。

キガリという首都になるとぐっと良くなるらしいですが、、、
こればっかりはどうしようもないですね。
YouTubeや色んなサイトをみてだらだら出来ないのを前向きにとるしかありません。

2013年10月21日月曜日

雨とダンスと体重

今日は昼ごろに強く雨が降り出しました。

雨=約束中止

これはルワンダで小学校の算数で教わっている方式かと思われます。

今日はインターンに行く予定だったのですが、2時の約束が2時10分の電話で当然のように中止になりました。
この国ではインターンでなくても友だちとの約束でも集会でも当然のように、延期ときどき中止になる模様です。
また、雨季は毎日雨がふってこその雨季ということで大体約束は明日か明後日の方向に進む見込みです。

以上現場からの中継でお送りしました
というわけで最初は傘をさしてせっせと歩いていましたが、最近では頑張って行っても誰もいないし損、という思考になり、結果雨がやむまではゆっくりしています。
これを人は順応と呼ぶのでしょう

私の部屋の窓の1つは何故かガラスがなく、今日の土砂降りでは雨が家に入ってきて大変でした。
洗濯物も乾かず、、、


こんな日は誰も居ない寮の食堂に行って軽い筋トレとダンスの基礎練習をするのが好きです。
ルワンダにはダンスをする場所といえばナイトクラブかエアロビクスしかないので、寮の食堂は床がコンクリートなのでヒールを使えるし、無駄に広いし、ダンスにはぴったりなのです。ええ不審者ですけど、、、まあルワンダだから大丈夫!
私は競技ダンスという部活に入っているのですが、ルワンダで社交ダンスを知っている人は全く居ません。
7ヶ月も離れていると、、やはりダンスをしたいなあと思います。
更に最近私は順調に大きくなっているわけなのですが、日本に帰るまでにはたるんだ筋肉を取り戻して、身体を引き締めなければと。

あーうらら久しぶりーー!あれ、、、動くじゃがいもか。

と言われかねない危機的な状況です。身体はまあいいんですけど顔が、、
食を制限するダイエットよりも、健康に食べて筋肉をつけて運動すれば確実にやせることが部活のお陰で分かったので、元に戻るまで少しずつ運動を続けたいなあと思います。

ちなみにルワンダじんには「ルワンダ人に近づいてきたね」と喜ばれます!
足が綺麗で細い子は「私の足は棒みたいでよくない」と言ってるし、
価値観は全然違いますね。

2013年10月14日月曜日

太湖地域の平和

今日は「平和」の意味を考えた一日でした。

ルワンダは治安がいいと言われています。
住んでみても、今まで盗難や事件にあったことは一回もありませんし、人々は大体優しく、他の地域に比べると驚くほど平穏です。

人々の挨拶でも
Ni amahoro?(Is Peace) 平和?
Ni amahoro.(Yes) うん平和−。

といった掛け合いがよくされています。

しかしその平和とは誰にとっての平和でしょうか?
ルワンダは平和だ、と言った時、その平和は「ルワンダ国内」の「一部の」国民にとっての「消極的な」意味にとどまっていないでしょうか。
ルワンダ政府が関わることにより複雑化しているコンゴ情勢を無視したものになっていないでしょうか。
ブルンジでの一時的な停戦の先へ進むために、ルワンダからできることはないのでしょうか?

例えば、今ルワンダの治安がいいことはもちろん喜ぶべきことです。
しかしだからといって、ルワンダ政府の関与が明らかであるコンゴ紛争に見て見ぬふりをし続けていいのでしょうか。
その政府を支持している以上、国民には国家の行動に責任が伴うと思います。
コンゴへの関与の絶対的な否定や、彼らが野蛮だから戦争が続いているといったような発言をする人、関与を認めつつも現在の政権の方針を指示している人。
情報公開がされていないこと、法律で表現の自由に規制がかかっていること、などもちろん政府に反する行動をおこしにくい社会であることは確かですが、それでも一部のルワンダ人の態度に疑問を抱きます。

今日は新入生の歓迎会を開きました。
その中で短時間のディスカッションの時間を作りました。私達が設定したテーマは「<太湖地域の平和>の意味とは」
以前まで留学生はわたし一人だったのですが、新しくコンゴやブルンジからの留学生が大学に来ました。これにより、ルワンダ人だけで話すことが出来る平和から、もっと視野を広げたディスカッションができたと思います。

一人の学生が
Peace is not for certain person, but for all
と言いました。
We cannot achieve any kind of peace when any other country in great lake region is in war and there is someone who struggle from violence, hunger and poverty.

Given the situation in DRC and relationship among countries in GLR, we have to go beyond discussion. It means that Peace studies should be treated with practical means as much as theories.

一介の学生たちに何が出来るのか
武力介入を容認したままでいいのか。
現政権のいい面を残しつつ変えていくことは可能なのか。。

リスクがないアイディアは思いつきません。
国外追放や逮捕などのリスクはもちろん避けたいですが、
だからといって何もしないのでは日本に居て黙っているのと同じです。

Indeed, We need peace
という歌(友達作)が心に残りました。




2013年10月11日金曜日

無償の優しさ

ルワンダ人は本当に優しい。簡単に詐欺に騙されそうな純粋さであり、子供だったら簡単に誘拐されそうな人懐っこい子どもたちがたくさんいる。

今日もいつもの道を通って家に帰ろうとしたら、雨が降ってきた。

まずいなー傘持ってないな−と思っていると、バイクタクシー乗り場に溜まってるドライバーたち10人位がこっちに来いこっちに来いと言っている。

このドライバーたちはわたしがいつも通るので顔と名前は覚えてくれているみたいで、いつも挨拶や軽い会話をしている。

でも今はお金ないからバイク乗らないよ、家近いし!
といって通りすぎようとすると、

というと、問題ない、大丈夫、うららは友達だから、と言ってわたしに無理やりヘルメットをかぶせ、雨が強くなるから!と急かし、バイクに乗れの合唱。そして、家までタダで乗せてくれた。

お金もそんなにないはずなのに、バイクタクシーにタダで乗せてくれることはよくある。

現地語をちょっと覚えたおかげでコミュニケーションが最低限できることも、こうして優しさをもらえる理由の1つかもしれないけど、それを抜きにしても、こんな無償の優しさをもらえることって日本だと少ないんじゃないか。


ちょっと嬉しかった出来事でした。

2013年9月11日水曜日

キニヤルワンダ語を勉強するということ

今、大学の友達がルワンダに遊びに来てくれているため、ルワンダをちょこちょこと案内しています。
キニャルワンダ語の世界、全く新しい環境、空気、人
戸惑うのも当然だと思います。
来たばかりの彼女に説明をしていると、自分の6ヶ月前をそのまま見ているようでした。

挨拶や質問にどう返したらいいかも分からない。
想像以上に通じない英語とフランス語
至る所で感じられる文化の違い
同じ年の学生との経済力の違い
途切れる水と電気
おそらく標高が高いために生じる不眠やだるさ
時間通りに来ない人々
虫さんたち
などなどなど

こうしてみると6ヶ月前、挨拶もままならなかった時期と比べて、少しばかり私のキニャルワンダ語も上達してきたように思います。最低限のコミュニケーションと簡単な時制の応用は大分出来るようになってきました。キニャルワンダ語なんて覚えてどうするのか、将来何の役にも立たないじゃないか、そう思われる方も多いとは思います。

私も最初はそう思っていましたし、英語とフランス語がある程度のレベルに達することが語学面での目的でさえありました。多くの人々がキニャルワンダ語だけを話すことに気づいた時は、ショックでさえありました。

しかし6ヶ月目にして気づいたのは、外の世界では全く役に立たないキニャルワンダ語能力が伸びることで、私はとっても幸せを感じているということです。

また詳しく書きますが、私の留学における最大の目的は「アフリカの人と社会を知ること」でした。ゴガクはそのためのツールですから、ルワンダにおけるキニャルワンダ語は最強の武器になるのです。キニャルワンダ語を使った時、周囲の反応はまったくちがうことを感じます。その土地の文化を尊重できない人やただ調査や援助の対象として人々を見ている人の多くはローカル言語を覚えようとしませんが、日本に住んでいておはようさえも覚えようとしない外人を想像すれば、地域の言語を覚えることの重要性が自ずと感じられるでしょう。

極端な言い方かもしれませんが私は顔も知らない、興味ない人たちを助けるなんてこと、私は偽善でもできません。偽善から生まれた一方的な援助は、対象地域の人々に逆に悪影響を及ぼしたり、更なる搾取の一助となるケースが跡を絶たないからです。私は偽善でもいいから助ければいいじゃないかとは思いませんし、一方的で上から目線の援助は被援助側も望んでいないんではないかと思うのです。

しかしこうやってキニャルワンダ語を使い、人々と接することは、私が自然にルワンダの人々に好意を抱くきっかけをつくってくれました。そして一緒に彼らの苦しみを分かち合いたいと心から思えるような人たちにも多く出会いました。6ヶ月前には1つのコミュニケーションも取れなかった人々と談笑できるようになりました。

もちろんいろいろな面で問題は起きますし、絶対に好きになれない人もいます。文化の違いに戸惑いを覚えることもまだまだあります。でも今はルワンダの社会で生きることに幸せを感じていますし、単に自分にルワンダがあっていると思います。残り4ヶ月、もっともっと色んなことを知りたいし、そのために外では何の役にも立たないキニャルワンダ語をもっと上達させたいと思います。


これからタンザニアに旅行に行ってきます。
帰ってきた後はジェノサイドのサバイバーと加害者との和解の推進の活動について、何回かに分けて詳しく書きたいと思います。

2013年9月6日金曜日

焼けない不思議

ルワンダに来て、結構外に出て歩いてる時間が多い。
ルワンダ人の移動が足が基本。
みんなゆっくり歩いている。
というわけで道路にはいつも人がたくさんいる。
子供も外でかけっこをしたり、おばあさんが木陰でお昼寝していたり。

ところで、はたと気づくと、日本に居る時と比べ、肌が焼けていない。
私はとても焼けやすい体質で、中学校でも通学10分間外に出ていただけで真っ黒だった。

しかしルワンダでは焼けていない。
ある人が言うにはルワンダは日本の7倍紫外線が強いらしい。。
では、なぜだろう。

疑問に思って、知り合いにそれを伝えてみると、
「周りが全員黒いから気づいてないかもしれないけど、十分焼けてます」

なるほど、人間って無意識に相対的な物の見方をしてるんだなあと納得した。