2013年9月11日水曜日

キニヤルワンダ語を勉強するということ

今、大学の友達がルワンダに遊びに来てくれているため、ルワンダをちょこちょこと案内しています。
キニャルワンダ語の世界、全く新しい環境、空気、人
戸惑うのも当然だと思います。
来たばかりの彼女に説明をしていると、自分の6ヶ月前をそのまま見ているようでした。

挨拶や質問にどう返したらいいかも分からない。
想像以上に通じない英語とフランス語
至る所で感じられる文化の違い
同じ年の学生との経済力の違い
途切れる水と電気
おそらく標高が高いために生じる不眠やだるさ
時間通りに来ない人々
虫さんたち
などなどなど

こうしてみると6ヶ月前、挨拶もままならなかった時期と比べて、少しばかり私のキニャルワンダ語も上達してきたように思います。最低限のコミュニケーションと簡単な時制の応用は大分出来るようになってきました。キニャルワンダ語なんて覚えてどうするのか、将来何の役にも立たないじゃないか、そう思われる方も多いとは思います。

私も最初はそう思っていましたし、英語とフランス語がある程度のレベルに達することが語学面での目的でさえありました。多くの人々がキニャルワンダ語だけを話すことに気づいた時は、ショックでさえありました。

しかし6ヶ月目にして気づいたのは、外の世界では全く役に立たないキニャルワンダ語能力が伸びることで、私はとっても幸せを感じているということです。

また詳しく書きますが、私の留学における最大の目的は「アフリカの人と社会を知ること」でした。ゴガクはそのためのツールですから、ルワンダにおけるキニャルワンダ語は最強の武器になるのです。キニャルワンダ語を使った時、周囲の反応はまったくちがうことを感じます。その土地の文化を尊重できない人やただ調査や援助の対象として人々を見ている人の多くはローカル言語を覚えようとしませんが、日本に住んでいておはようさえも覚えようとしない外人を想像すれば、地域の言語を覚えることの重要性が自ずと感じられるでしょう。

極端な言い方かもしれませんが私は顔も知らない、興味ない人たちを助けるなんてこと、私は偽善でもできません。偽善から生まれた一方的な援助は、対象地域の人々に逆に悪影響を及ぼしたり、更なる搾取の一助となるケースが跡を絶たないからです。私は偽善でもいいから助ければいいじゃないかとは思いませんし、一方的で上から目線の援助は被援助側も望んでいないんではないかと思うのです。

しかしこうやってキニャルワンダ語を使い、人々と接することは、私が自然にルワンダの人々に好意を抱くきっかけをつくってくれました。そして一緒に彼らの苦しみを分かち合いたいと心から思えるような人たちにも多く出会いました。6ヶ月前には1つのコミュニケーションも取れなかった人々と談笑できるようになりました。

もちろんいろいろな面で問題は起きますし、絶対に好きになれない人もいます。文化の違いに戸惑いを覚えることもまだまだあります。でも今はルワンダの社会で生きることに幸せを感じていますし、単に自分にルワンダがあっていると思います。残り4ヶ月、もっともっと色んなことを知りたいし、そのために外では何の役にも立たないキニャルワンダ語をもっと上達させたいと思います。


これからタンザニアに旅行に行ってきます。
帰ってきた後はジェノサイドのサバイバーと加害者との和解の推進の活動について、何回かに分けて詳しく書きたいと思います。

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